(第3回)企業から見た「採用したい学生像」の変遷をたどる(バブル期編)

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(第3回)企業から見た「採用したい学生像」の変遷をたどる(バブル期編)

どの時代に就職活動をした学生に聞いても、採用担当者に聞きたい質問で上位にあげられるのは、「貴社が採用したい人材像」である。そして、2010年度の就職活動でもこの傾向は間違いなく見られるはずだ。 そこで、今回は「企業から求められる人材」についてお話したいと思う。

八木政司

 日本において、新卒採用が人事部のルーチンな業務から、企業の経営戦略の一環として位置づけられるようになった歴史はさほど昔ではない。では、そのターニングポイントとはいつか。様々な意見はあると思うが、筆者は1990年前後のバブル採用期に、その転機があったと考える。

●バブル期の「採用したい人材像」

 ご存知の方もいるかもしれないが、当時は就職協定という産業界と大学による取り決めがあった。学生の就職機会の均等を期すためというのが大義名分であったが、当時はこの取り決めがある程度の抑止力をもって機能していたため、大手企業の人事部は表立った採用活動を極力抑えていたのだ。

 したがって現在のように、いくら採用とは無関係だとはいえ、大手や有名企業によるオープンセミナーの開催や合同セミナーへの参加など、当時はありえなかった。
 しかし、その一方で上位大学や指定大学の学生の採用には今以上にこだわりを持っていたことは事実であった。表立った採用活動ができない人事部だが、上位大学の学生を採用したいので早めにコンタンクトをとり、選考までは繋ぎ止めておきたい。
 この矛盾を埋めるミッションを受け、学生に対応していたのが、昨今、各企業が導入しているリクルーターの起源なのである。

 バブル採用の頃のリクルーターは、採用活動の最前線に立てない人事部の命を受け、現在とは比較にならないほど大きな権限を与えられていた。学生とのコンタクト方法は、OBから電話がかかることも、学生から電話をかけることもあった。個人情報保護法もない時代、学生は大学の就職部でOBの連絡先を調べることができたし、企業からの自宅に届くDMにも大学のOBの勤務先に直接つながる連絡先が当たり前のようにプリントされて封入されていたのだ。
 携帯電話もない時代、一般の学生たちは公衆電話や自宅から勤務中のOBに電話をかけ、OB訪問のアポイントを取りつけ、真夏のオフィス街を汗だくになって奔走していた。当然、対応は平日の昼間ということも珍しくなかったが、それは大きな問題ではなかった。というのもOB訪問は多くの企業でれっきとした「業務命令」だったのである。

 OB訪問は「業務」だが「接客」ではない。したがって初対面のOBからでも徹底的に訪問の準備不足を指摘・叱責をされ、精神的に落ち込むこともあった。
 バブル期は時代を反映してか、名の通った企業でも容易に内定をもらうことができた。採用する側は、「質より量」で、採用担当者は学生の確保に苦労した。しかし、総合商社、上位都市銀行・生損保など、一部の人気企業では、「楽勝」とは程遠く、苦渋を味わう学生も多かった。OB訪問で社会人に厳しく鍛えられたのはその一例だ。OB訪問はアルバイトでは体験できない社会人からの強烈な洗礼だったのである。

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