市況悪の逆風下での船出 ついに新日鉄住金が始動
ポスコ誕生には新日鉄が深くかかわった。1968年に会社が設立されたが、経済性がないと世界銀行をはじめ欧米諸国からの借款も断られ、製鉄所計画はいったん頓挫した。だが69年、当時の朴正熙政権は日本からの賠償金に目をつけた。この無償資金は韓国の農林水産業近代化向けに用途が決まっていたが、これを転用したのだ。
新日鉄が誕生した70年に浦項製鉄所は着工し、第4期工事が完了する83年まで、新日鉄らによる技術支援が続いた。釜石、室蘭、名古屋、君津、京浜などから300人以上の技術者が派遣され、日本の技術を教え込んだ。韓国側も熱心に吸収し、当時「ポスコは韓国ではない」といわれるほどの正確さと緻密さを実現した。
98年からは新日鉄はポスコとの資本提携を進める。ミタルからの買収防衛の意味も強かったが、00年、06年と提携を深め株式を相互に追加取得し、共に大株主へ。提携以来、600回に及ぶ会合を重ね、5000人が参加し関係を深めてきた。
ただ、提携の一方で営業の最前線では顧客の奪い合いが激化していた。そしてこの4月、電磁鋼板技術の不正取得でポスコを提訴する事態が発生。07年に韓国で起きた宝山鋼鉄への技術流出にまつわる産業スパイ事件で、裁判での証言から不正取得が明らかになった。ライセンスの供与先でないポスコがなぜ電磁鋼板を造れるのか疑問視していた新日鉄は、元社員らからも証拠を押さえ、提訴に踏み切ったのだ。
「苦渋の選択」とは三村明夫相談役。商品開発を一緒にやるなど10年間でアライアンスの量と質を拡大してきただけに、これで両社の関係にひびが入るのは残念という。別の幹部も「証拠が出て何もしなければ、われわれが善管注意義務違反に問われてしまう」と説明する。ポスコとポスコジャパンと新日鉄の元社員を相手にした裁判は10月25日に始まる。