「差別的」とのラベルが貼られないようにという気遣いからさまざまな用語・慣行・慣習が姿を消したり、形を変えたりするケースも相次いでいる。
たとえば、日本人にとって、一大行事であるクリスマス。しかし、これは本来、キリスト生誕を祝うキリスト教の祭り。米国ではこれを公式に祝うことはほかの宗教に対する差別である、という考えから、クリスマスソングを歌わない、クリスマスツリーではなくホリデーツリーと言う、などの配慮をする学校も増えている。企業の宣伝や報道などでも、「Merry Christmas」という言葉は使わず、「Happy Holidays」などと表現することが多くなった。
また、男らしいとか女の子だから、といった言葉も気をつけて使わなければいけない。たとえば、子供向けのクリスマスプレゼントを選ぼうとすると、玩具店の売り場やインターネットのサイトでも「男の子向け」「女の子向け」と分けていたカテゴリー表示が消えている。
男の子だからミニカーやブロック、女の子だからバービー人形といった区分は性差別にあたる、という考えからだ。「女の子らしくしなさい」などと言う発言も完全にアウトである。
ボストンで起きたこと
日本的な感覚ではなかなか理解できない「炎上」事案はまだまだある。
昨年夏、ボストンの美術館では、こんなこともあった。白人女性が扇子を持ち、赤い着物を着てポーズをとる有名なモネの絵画「ラジャポネーズ」の前で、本物の着物を客に着せて、楽しんでもらおうというイベントが開かれた。これに対し、アジア系米国人が「アジア人に対する性的フェチを助長する差別的行為」と抗議し、イベントは会期途中で中止されることになった。
上記のように、世界中で世代、人種、文化、宗教などによって社会がクラスター化し、分断する中で、対立する価値観のぶつかり合いが顕在化。明らかにどちらか一方が絶対的に正しいとは言い切れないケースも多く、そこに無数の炎上の火種がくすぶっている。
日本における「性差別」「人種差別」「宗教的な差別」に対する配慮やリテラシーは米国に比べて圧倒的に低いように感じる。日本のテレビには相変わらず「ブス」「ハゲ」「デブ」といったような「容姿差別」的言葉があふれているし、性差別的な表現はまだまだ多い。筆者の肌感覚で、米国と日本の炎上しやすいトピックスを比較してみた。
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