「教養なんてなくても、いい。私は無学な人間が大好きなんだ。学問なんてそれほど要らない。私を支持する人は、すでに頭がいいのだから」。トランプは支持者をほめたたえる。低学歴、低収入で、ある意味、社会から置き去りにされた白人層の人たちは夢も希望も閉ざされ、挫折感を味わってきた。そうした人々にとって、「白人であるあなた方は優れている」といったイメージを想起させるコミュニケーションは非常に心地いい。「あなた方は素晴らしい、全部不法移民が悪い、政府が悪い」。そんなニュアンスの言葉に、「持たざる」支持者のプライドは大いにくすぐられ、これまで感じてきた無力感が一気に、エンパワーされるような感覚を覚えるのだ。
「彼は本音を言う」。多くのトランプ支持者がその理由を聞かれた時、最も多く出る声が実はこれだ。ここで登場するのが、Political correctness(政治的正しさ)という言葉。日本でも、最近はセクハラ、マタハラ、パワハラなどを危惧して、「言ってはいけないワード」が激増しているが、要するに差別的な発言はいけない、ということ。弱者やマイノリティに対して、寛容であろうとする故に、逆に「タブー」が増え、言語的な制約や、タブーを犯したものへの容赦ない攻撃を生む「寛容の非寛容」という皮肉に反発を感じる人が増えている。まるで、ヘイトスピーチのように、イスラム教徒や移民に対する差別意識を丸出しにして攻撃する姿に、溜飲を下げる人が少なからずいる、ということだ。
フラストレーションは世界のどこにでも
ひるがえって日本でも、ネット上に強い口調で他者を糾弾する誹謗や中傷があふれかえる現状を見ると、アメリカのこうしたフラストレーションは実は日本にも存在するのではないかという気がする。誰の心にも実はあるかもしれない「小さな差別意識」や「他者への怒り」そして「ねたみや嫉み」。そのマグマのかけらをかき集め、導火線をつけ爆発させたのがトランプなのだ。将来、日本にもこうしたデマゴーグ(扇動的民衆指導者)が現れる素地はないとは言い切れない気がする。
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