ところで、今回テーマに掲げた校長は「産め」という「べき論」を強調していますが、間逆の「べき論」を持つ校長もいるようです。
全日本教職員組合青年部のアンケート(2007年11月~2008年3月 35歳以下 2000人)によると、「現在あるハラスメント行為」の中に「管理職が正しいと思うことの一方的押しつけ」が9.2%あり、個別意見の中には「子ども(妊娠)はめでたいことだけど、教員にとっては迷惑。今年は妊娠しないでほしいと言われた」というものもありました。
生徒に対する発言か、部下である教職員に対する発言かという違いはありますが、「産め」「産むな」どちらの発言も「正しいと思うことの一方的押しつけ」です。セクシュアルハラスメント、そしてマタニティハラスメントにつながりかねない違法性を含んでいると言えます。
「マタハラネット」を見ると、悪意なくマタハラを行ってしまっているだろう者の一定割合を「昭和の価値観押しつけ型」と分類しています。かつての一般的な理想は「入社から定年まで勤め上げ、妻は専業主婦で、子どもは2人で、いつかは持ち家で……」でしたが、社会構造は刻々と変わっており、今はこのような家庭を探すほうが難しいかもしれません。
押しつけでなく「奉仕する」リーダーシップも有効
そんな時代が訪れる今、バランス感覚や柔軟性を培わなければ法を侵すことにもなりかねず、こうなると「間違ったことを言ったつもりはない」などと弁解をする余地もありません。教師に限ったことではなく、私たちはつねに「べき論」を見直し続ける必要があるのです。
心理学者の権威・ドゥンガーは、「人の先行する経験が、問題の解決を妨げてしまう」ことを「機能的固着(固定観念)」と呼び、アイデアや創造性が発生しにくくなる弊害として説きました。私たちの凝り固まった「べき論」も、この「機能的固着」と同じでしょう。
すべての「べき論」は本人にとって正解である一方、行き過ぎればモラハラ化する弊害についても、過去に説明してきました。これを防ぐ手立てとして(学校での教育と企業での部下育成は、論点が異なるかもしれませんが)、昨今の企業でよく用いられる「サーバント・リーダーシップ」という方法にヒントを求めてみましょう。
サーバント・リーダーシップとは、「リーダーである人は、まず相手に奉仕し、その後に相手を導くものである」というリーダーシップ哲学です。「管理」でなく「支援」。つまり「押しつけ」ではなく、日々の傾聴や受容によって、「気づいたらいろいろな人がついてきていた」「いつの間にか部下が成長していた」という状況を作ろうとするものです。
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