誤解しないでいただきたいのは、「べき論」を持ってはいけないと言いたいわけではないこと。「べき論」は「信念」とも置き換えられ、目標を成し遂げるための原動力になりうるものです。反面、「べき論」は「期待値」とも言えますので、これを目の前で裏切られたら、裏切り度合いが大きければ大きいほど、強い怒りを呼び起こします。
こうした2面性があるわけですから、自分の「べき論」と上手に付き合って、いい側面だけを最大化したい、ということになります。
筆者は学校の先生に向けたアンガーマネジメント研修・講演をたびたび実施しています。登壇後に先生方からいただくご意見の中で多いのは、「教師ほど『べき論』の多い職種はないと思う。そして『べき論』を信じて職務に励んできた」というものです。
なるほど、おっしゃるとおりで、先生方が「べき論」つまり「信念」に突き動かされ行動し、残してこられた功績を否定するつもりはありません。己の信ずる道をガムシャラに突き進む指導者、それに応えて努力し続ける生徒、そうやって勉強や部活動の困難をどんどん乗り越えていったエピソードには、深く感動させられます。
感情労働者だからこそ、強い「べき論」が形成される
けれども、「べき論」の押しつけは、ときに「わがまま」の押しつけに過ぎないこともあるのです。たとえ本人に悪意がなくとも、人権侵害や法律違反に至ることだってあり得ます。
ハラスメント問題に詳しい弁護士・水谷英夫氏の著書『感情労働とは何か』(信山社)に、精神的な負担、重圧、ストレスをほぼ毎日負わなければならない「感情労働」について、詳しく解説されています。
いわく、「感情労働は、感情と労働の結びつきに関して、自己もしくは他者の抑制もしくは管理を重要な要素とする、対人サービスを中核とする労働のこと」。その代表的業態のひとつに「教師」が挙げられています。
学校教育は教師と学生の相互作用によって作られるものである、と、本書は主張しています。「学生や生徒達の反応がよければ教師も授業に熱心になり、他方で学生、生徒の反応があまり少ないと、教えようという気力が萎えていってしまう面を持っている」。こうした事情から、「自分が毅然としなければ」という意識がより強く働き、そこから教師の強い「べき論」が形作られていくのかもしれません。
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