まずは、受験を控える中3の生徒と私との間の会話をご覧ください。
この会話の内容を聞いて、中には「いや受験とは競争であるから、トップを取ろうとがんばってきたし、そういう勉強は楽しかったのだ」という人もいることでしょう。もちろんそういう人もいるかもしれませんが、私がこれまで3000人以上指導してきた生徒を見ていると、成績がよかった生徒のみならず、成績がのびていった生徒は、勉強や受験を競争とは思っていないことが多かったのです。
できる子に、「雑音」は聞こえていない
「成績や学力は競争することによって伸びる」
という人は教育関係者、また保護者の方の中に少なくありません。確かにテストでは、点数がつけられ、成績表は数値で出され、入試は合格不合格が明確になります。少子化が進み「受ければ誰でも合格できる学校」も最近ではたくさん出てきましたが、それでもまだ、「倍率(競争倍率)」という言葉も健在で、勉強=競争、受験=競争という認識は根強いものがあります。
しかし、これは間違った認識であると考えざるを得ない場面を、これまで私はたくさん見てきました。これまで指導してきた生徒たちから本当に「できる子」の特徴として、周囲の雑音が気にならず、自分の世界に没頭している、 そうした面において「突き抜けている」という点があったのです。
端からみれば、何時間も熱心に勉強していて大変だろうと思えても、実は本人は集中して内容面に入り込んでいるため、周囲からみるほど大変ではないということがあります。また、本人にはこのとき、競争するとかしないとか、そういったことには意識がいっていないのです。
これが、勉強に深く集中できず、表面的字面を追うだけで、意味も深く理解できていなければ「つまらない」状態になるのは当然です。それでも“真面目な”な生徒は、表面的であっても勉強はするので、ある程度は点数がとれます。知識は有限ですから、表面的であっても量をこなせば、点数が取れるようになります。
しかし、「そこ」で終わってしまうのです。つまり、勉強は入試のため、テストで点数を取るためと割り切っているため、社会に出てから「学校の勉強なんて社会で役に立たない」「因数分解?そんなの社会では全く使わない。意味あるの、そんなことやって」という発言が飛び出したりします。そうした考え方だと、子ども時代の勉強は受験が終わった途端に無駄になり、実際すぐに忘れてしまうのです。こうした考え方は、大人になっても続いてしまうのが恐ろしいところです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら