そこまでやるか!京急ミュージアムのこだわり 40年前に引退した車両をピカピカに修復

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京急は230形が里帰りしたばかりの2017年5月、鉄道フェスタの中で川口市の関係者を招いて「引継式」を開催するなど、折に触れて修復プロジェクトを盛り上げた。引継式に出席した電鉄OBは「新人の頃は立て続けに停止位置を行き過ぎてお客さまに怒鳴られた」「230形は運転士の感覚で操作する京急車両の原点」といった運転経験者ならではのエピソードを披露した。

修復にあたっても京急OBの豊富な知見が生かされた。ミュージアムを含む本社移転プロジェクトの担当だった営業企画課の飯島学さんは「デハ230形の木の床をメンテナンスした経験があるOBがいなかったら直せなかったかもしれない。修復を通じていろいろなノウハウを若い世代に伝えることは、いざというときに役立つはずだ」と語る。

総修復作業時間は約9800時間、作業員数は約100人にのぼったという。

随所に「本物」へのこだわり

修復されたデハ230形をはじめ、京急ミュージアムには鉄道の現場から寄せられた「本物志向」が随所に詰め込まれている。

京急ミュージアムの佐藤武彦館長(左)と営業企画課の飯島学さん(記者撮影)

例えば230形が乗っているのは、現在同社で使用していない「37(さんなな)」と呼ぶ1m当たりの重さが37kgのレール。「230形には37でないと似合わない、という保線担当の強い希望があった」(飯島さん)という。バラスト(砕石)は「新品でも角が取れすぎていても格好が悪い」と営業線から回収して持ってきた。電力区の社員が2日かけて張った架線は、2本の電線を一体化させた京急特有の「合成電車線」となっている。

「ジオラマは、実際はありえない信号現示は出ないようにしてある。例えば『YGフリッカー信号』は2本連続することはない」。こう説明するのはミュージアムの館長に就任した佐藤武彦さん。「電車が大好きで運転士になった」といい、京急久里浜駅の駅長を務めたベテランだ。入社はデハ230形が引退した1978年。「デハ230形のさよなら運転の日は雨だったと思う。堀ノ内の駅で写真を撮った」と当時を振り返る。

ミュージアムに携わった現場の部署やジオラマ製作会社の本物へのこだわりは、人一倍鉄道愛が強いはずの佐藤さんや飯島さんでも「そこまでやる?」と驚かされることがしばしばあったようだ。

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