日本人ながら「傭兵」として活動した異色の経歴
高部正樹さん(56歳)の最も知られている肩書は「元傭兵」だ。
アフガニスタン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナと、海を渡り戦地に赴き、傭兵として20年近く活動してきた。傭兵とは金銭などの利益により雇われ、戦闘・闘争に参加する兵士や集団のこと。これは日本人としては非常に珍しい経歴だ。
引退後は、軍事アナリスト、軍事ジャーナリストとして活躍している。
著作も『戦友 名もなき勇者たち』(並木書房)、『実録!!傭兵物語―WAR DOGS―』(双葉社)など、傭兵時代の経験を基にした作品をたくさん執筆している。
先日上梓した『日本人傭兵の危険でおかしい戦場暮らし』(竹書房)では、傭兵のシビアな面だけではなく、コミカルな面も描かれている。
不足した野菜をとるために銃撃されながらピーマンを採った話、仲間が現地の女性に惚れてしまった話、そして少女からビスケットを1枚手渡されて感動したエピソード、など。イメージする傭兵よりも、ずっと人間味のある姿が描かれていた。
ただ、それでも「元傭兵」という肩書の人だから、こわもての男性が来ると思い少し身構えていた。しかし実際に会議室に現れた高部さんは体躯こそ大きいものの、ニコニコと笑顔でとても優しい雰囲気の男性だった。
今回は、高部さんにどのような経緯を経て傭兵になったのか。傭兵時代の歴戦の話、そして傭兵を引退した現在の話を聞いた。
高部さんは、愛知県豊田市に産まれた。山も川もある自然豊かな田舎だったという。
「小さい頃から身体を動かすのは好きでした。朝から晩までカブトムシをつかまえたり、川で釣りをしたり。野球でもなんでも得意でした。勉強はほとんどしなかったですけど、成績は上位でした」
ある日、小学生の高部さんは両親に書店へと連れて行かれ、
「好きな本を買っていいよ」
と言われた。
高部さんは『戦艦大和のさいご/真珠湾上空6時間』(偕成社)という本を買ってもらった。それからは第2次世界大戦の軍記物の作品を読み漁るようになった。
「子ども心に『軍人は自分のためではなく、他人のために命をかけて戦う仕事だ。これこそ男の仕事だ』と思いました。そして大きくなったら軍人になろう、と決めました」
ただ、学校の先生は高部さんの夢は理解しなかった。
「卒業文集に将来の夢は『軍人』って書いたら、勝手に『プロ野球選手』って書き直されました。さすがにひでえなあって思いました(笑)」
当時、高部さんのいちばんの目標は航空自衛隊のパイロットになることだった。パイロットになるには大学を卒業するしかないと思いこんでいたので、普通科の高校へ進んでいた。
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