56歳・元日本人傭兵の何とも壮絶で快活な半生 20年近くミャンマーなどで命を賭け戦ってきた

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そのパーティーでアフガニスタンに精通している人物を紹介してもらい、後日その人の事務所を訪ねたが、ほぼ門前払いをくらってしまった。

がっかりではあったが、だが少しの会話からある程度の知識を手に入れることができた。

「それはパキスタンとアフガニスタンの国境にあり、ベシャールという街の『ユニバーサルシティ通り』という場所に行けば、反政府ゲリラの事務所がある、という情報でした。

こうなったら1人で『ユニバーサルシティ通り』に行くしかない、と思いました」

仕事を辞めて、パスポートとビザ、パキスタン行きのチケットの入手した。

そこまで用意したところで、前述のアフガニスタンに精通している人物に挨拶をしておこうと思い立った。顔を出すと、その人は驚いた様子だった。

戦いたいと言って本当に戦うのは100万人に1人

「男が1000人いれば戦いたいと言い出すのが1人くらいいる。しかし実際に戦うのは100万人に1人だ。だから最初は拒絶したけどもしかしたら君はその100万人に1人なのかもしれない。なら時間を無駄にしなくてもいいように紹介状を書いてあげよう」

と、反政府軍の事務所の電話番号や担当者の名前を教えてもらい、紹介状も書いてもらった。

現地で、紹介状を見せると話はすんなりと通った。そして

「いつ行きたい?」

と単刀直入に聞かれた。高部さんはもちろん

「明日にでも行きたい」

と答えた。

「3日後くらいに、アフガニスタンに入る反政府軍がいるから一緒に入るか? と言われて、オーケーしました。3日あるならゆっくり準備しようと思っていたら、翌日

『今から行くから来い!!』

と急に言われました。現地の人が着る服、シャルワール・カミーズだけは準備していたので、それだけを持って反政府軍に加わりました。シャルワール・カミーズは民族衣装ですが、彼らは軍服ではなくシャルワール・カミーズを着て戦います」

反政府軍は多くの場合、親兄弟、仲間同士、というような人のつながりでできている小さなグループの集合体で、基本的に、自分たちが住む地域周辺で戦闘をしていた。

高部さんは当時、反政府軍の中では2番目に大きいグループに入った。そしてすぐに最前線に回された。高部さんにとって、最初の戦闘が始まった。

「アフガニスタンでは斜面の上のほうから攻めていくことが多いです。初めての戦闘は、気分も高揚していたので、まったく怖くなかったですね」

弾丸が飛んでくるときにはこんな音がするんだ、砲弾が炸裂するときはこんな音がするんだ、などと冷静に判断していた。

重症を負った兵士がかつがれて、斜面の下から運ばれてくる。撃たれて死んでいる人もいた。

「戦闘時はまったく怖くなかったんですけど、戦闘が終わり後方の拠点に移動してから、いろいろ思い出して急に怖くなってしまいました」

こわくてもう戦闘に出たくないと思った。

「頭が痛い」

「熱がある」

と仮病を使って戦闘をサボろうとした。

怯える高部さんに指揮官は、

「大丈夫、大丈夫!! 前線に行けば治るから!!」

と高部さんの手を引っ張り無理やりに、戦闘へ連れ出した。まるでスーパーで駄々をこねる子どもを、親が無理やり引っ張っていくような状態だったという。

(C)高部正樹・にしかわたく/竹書房
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