56歳・元日本人傭兵の何とも壮絶で快活な半生 20年近くミャンマーなどで命を賭け戦ってきた

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「実戦では基本的に先に敵を見つけたほうが、自分たちのタイミングで攻撃をしかけます。戦闘のはじめに最大火力を出すようにします。もちろん先に相手から見つかって発砲されることもあります」

パパパパン!! と山間に銃声が響くと、それを契機に戦闘がはじまっていく。

撃たれた側は当然即座に撃ち返す。

野球の応援のウェーブのように、戦闘は波及していく。

傭兵時代、部屋で準備をする高部さん

「もちろん、戦闘になるかどうかは状況によってさまざまです。パトロールで敵を見つけても戦闘をしかけないことはありました。無視しても問題ないと判断したときや、相手が強すぎる時は仕掛けませんでした」

一度だけ、お互いが発見し合ったのに戦闘にならなかったこともあったという。

高部さんの隊が山の中腹を歩いていると、200メートルほど先の敵の軍隊と鉢合わせしてしまった。

お互い、敵がいるとは思っておらず油断していた。高部さんたちは銃を肩にかけていたし、敵の兵隊は地面に銃を置いていたりした。

お互いに睨み合ったまま、動けない状態が続いた。高部さんの隊の先頭を歩いていた兵士が、ゆっくり1歩ずつ歩き始めた。相手の兵士は目で追うだけで、行動はしなかった。

敵兵の死角に入った途端、全員全速力で走って逃げた。

「戦闘力は相手のほうが圧倒的に強かったですね。味方は10人。敵は30~40人でした。戦闘になったら結構不利な状態でした。その頃、旧ソ連軍が撤退する直前だったんですよ。彼らは、もうすぐ故郷に帰れるのに、無用のリスクは犯したくないって思ったんでしょうね。助かりました」

このように傭兵は、まさに命を張った仕事だ。朝ごはんを食べた仲間が、夕食にはいなくなっている、というのは珍しい出来事ではなかった。

ヘリに攻撃された後。小さい破片が3つ背中に刺さった

実際、高部さんも大怪我をしたことがある。

「ソ連製の攻撃ヘリが、砲台をロケットで攻撃しました。砲台は大破して、飛んできた小さい破片が3つ背中に刺さりました」

ヘリコプターは砲台を撃破しただけで退散したからよかったが、追撃されていたら一瞬にしてミンチになっていただろう。

そんな命をかけた戦闘をこなして、高部さんはどれだけの報酬を得ることができたのだろうか?

(C)高部正樹・にしかわたく/竹書房

1回にもらう給料は8000円ぐらい

「アフガニスタンのときは1回にもらう給料は8000円ぐらいでしたね。雑にカバンからわしづかみにしたアフガニー(アフガニスタンの通貨単位)札束を手渡されました。その給料の出どころもどこからなのかはわかりませんでした」

(C)高部正樹・にしかわたく/竹書房

現地の兵隊としては、8000円は悪い金額ではなかった。ただ、高部さんにとっては使い道がなかった。アフガニスタンにいる間は、食べ物などは支給される。そして国境を超えて、パキスタンに戻るとアフガニーは使えない。両替商はいるが、弱いアフガニーをルピーには交換してくれなかった。

結局、高部さんは給料を全部仲間に配っていた。

(C)高部正樹・にしかわたく/竹書房

「でも僕はお金のために傭兵をしていたわけじゃなかったので、何とも思いませんでした。それに、その後に行ったミャンマーはボランティアだったので報酬は0円でした。衣食住武器弾薬はタダで支給されましたが、飛行機のチケット代などを考えると完全にマイナスでしたね」

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