映画「ピンクとグレー」、幕開け62分後の衝撃 行定勲監督が語る青春映画への思い

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――映画的な原作であると。

小説の文体や構造、語り口を小説から学ぶのではなく、映画から学んで、それを小説にフィードバックさせていくという人って今は多いと思うんですよ。僕の知り合いでもそういうやり方をしている人はたくさんいますから。

映画は時間の芸術ですから、それを文字としてどう組み立て直すか、ということで小説の新しい形を生み出したのに、それをまた映画に戻すのはナンセンスじゃないかなと思っていて。逆に言うと、この原作を映画にする際は、もっと時制もきっちり並べて。登場人物をきっちり描いてみようと考えた。ただ、それを考えたときに構造上では面白そうだと思ったのですが、ちょっと問題点が出てきた。(物語の核心に触れるので詳しくは言えないですが)そこで今回のアイデアを思いついたということです。そうしたら、一度、小説を読んだ人も、さらに物語に広がりを感じるようになったし、案外、みんな驚いてくれたので、よかったなと思っています。

「わからない」でもいいじゃないか

――この作品だと原作はどこを抽出しようと。

いちばん大きいのは、自分がリスペクトしている人間に対する脅威というか、自分が結びついていると思っている人間に対する理解がどのくらいのものなのか、ということを表現したかったのかもしれません。

「まず原作小説が何を訴えているかを考えた」と行定監督(C)2016「ピンクとグレー」製作委員会

――人と人とはわかり合えていないのだということでしょうか。

まあ、わかり合えている部分はあるのでしょうが。ただ、それがわからないのであれば、わからないままでもいいのかなというのが正直なところ。今は世の中の人が、いろんなことをわからないとダメという状況になっているような気がして。だから映画を見た後にもやっとしたものが残ってもいいし。それなりのものを持ち帰ることができるはず。そういう面では特に『ピンクとグレー』はうまくいったかなと思っています。

でも今、優秀だといわれている映画は、腑に落ちるものをきっちりと提示するんですよ。そういうことがわかった瞬間に僕はがっかりしてしまう。予想はしていなかったが、予想通りの映画だったというか。でも、それで満足している。ネット社会の今の世の中には、みんなと答えをすり合わせたいという気持ちがありますよね。でもこの『ピンクとグレー』という映画は、そこに向かわないから楽じゃない。途中で、え、ウソだろうという展開をするわけです。とはいえ、ベースにはこの小説があるので、この小説に流れるテーマには属したものになっている。僕はそこが面白くできた映画だと思う。

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