羽田から米子空港まで約1時間半。そこから隠岐島行きのフェリーが出る七類港まで車で約30分。さらに、フェリーに揺られること約3時間。東京から半日かかって到着したのは、人口2300人あまりの島根県隠岐郡海士町だ。
平成の市町村大合併の際に、「合併したら埋もれてしまう」と自立の道を歩むことを決断。しかし、町は当時100億円の借金を抱え、これまでの道のりは決して平坦なものではなかった。その海士町にいま、「新たな挑戦」が起きている。島を歩けば、他の地域と比べると多くのIターンの若者たちに出会う。しかも、海士町のその活気は子どもの教育にも影響しているという。いったい何が起こっているのか。
今年、海士町にある公立高校が文科省が指定するSGH(スーパーグローバルハイスクール)に選ばれてもいる。今回は、海士町訪問から見えてきたことをお伝えする。
Iターンの大量受け入れと、島の人の葛藤
資源も何もなかった海士町が、平成の市町村合併の際に抱えていた借金、その額実に100億円。それを解決するべく、1999年にスタートしたのが、町の行政職員の意識改革を狙った「キンニャモニャの変」だ。
「キンニャモニャ」とは、隠岐民謡の「キンニャモニャ節」に由来するが、その意味については諸説ある。それまでの過去10年間、住民はその財政危機について何もできなかった。その「住民」にはもちろん職員も含まれている。そこで、「住民と一緒にこの町を盛り上げていこう」という職員のやる気が問われる意識改革となった。
その後、2002年に山内道雄氏が海士町長に初当選し、そこから改革が加速することになる。町唯一の港である菱浦港には、町民が気軽に集まれる場所をつくり、そこから情報を発信していく試みがなされた。2004年には、海士町が生き残れるかどうかの試金石となる2つの大きな改革が行われた。そのひとつが、行政改革だ。
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