日本最先端の「離島」に進化!海士町の秘密

教育で一歩先行く島はいかにして生まれたか

山内道雄町長

町長、課長の給与をそれぞれ50%と30%カット。もうひとつは、その行政改革で浮いたお金で借金返済と並行して産業振興、具体的には新規事業を興すことに力を入れた。新規事業を進めるため、2004年から2006年の間に、農業・漁業関係者も含めると実に80数名が町で働くことになった。そのうち3分の2は海士町とは縁のない人だった。

新規事業にはCAS(Cells Alive System)を利用した農水産加工施設の整備、隠岐牛ブランドの確立などさまざまなものがある。中でも山内町長が挙げるのが、ナマコの輸出事業も行う民宿・但馬屋だ。

島を盛り上げる「Iターン」人材

但馬屋を経営する宮崎雅也さんの経歴は面白い。一橋大学の学生時代に海士町の中学生がゼミを訪れ、同行していた町職員から乾燥ナマコの輸出の話を聞いて面白いと感じ、海士町にIターン。以来、民宿の仕事をしながら輸出も手がけているとのこと。

のどかな風景が広がる海士町

その宮崎さんの気概に一肌脱いだのが、海士町だ。2007年に乾燥ナマコの加工場を設けるべく、町長が議会に7000万円を投じるよう議案を提出した。当時は、多くの借金を抱えているにも関わらず、そのような大金を箱ものの工場建設に当てるなどとんでもないという議論が巻き起こったという。ただ、町長は、その工場を作ることで町の後継者、跡取りを作ることになると説いてまわり、その予算は通過。乾燥ナマコ加工工場ができた。

以来、「AMA ワゴン」として一橋大学の学生が年に5回海士町を訪れ、地元の小中高生と交流している。2009年には、そこに有力なメンバーも加わった。ソニーを退職して移住してきた岩本悠さん(現・島根県教育魅力化特命官)と、元トヨタ社員で株式会社巡の環(めぐりのわ)を立ち上げ、持続可能な地域づくりを行っている阿部裕志さんだ。

これまでに500名弱の人が海士町に移住し、中には家族と一緒に来た人もいる。島の人の「ヨソモノ」への意識はなかったのか?と思う人も多いのではないだろうか。

海士町は、古くは承久の乱により後鳥羽上皇が配流され受け入れた歴史があり、外の人を受け容れる土壌はあったという。ただ、そうは言っても、やはりアレルギー反応はあったと山内町長は言う。町長の両親自身もIターンだった。「前までは閉鎖的だったが、Iターンに来た人たちが一流企業の一線で働いていた人で、その職を投げ打ってまで海士町のために頑張ろうという人たちでした。その人たちの志の高さに、島の人が徐々に感化され、現在ではよい化学反応が起きています」

島の中でのよい化学反応は、教育においても起きている。隠岐諸島の中の島前地域は3島(知夫里島、中ノ島、西ノ島)からなり、唯一の高校は中ノ島・海士町にある隠岐島前(どうぜん)高校だ。生徒総数160名。島外の生徒が79名で全員が寮で生活している。そのうち、県外から来ている生徒が66名。その出身地は北海道から宮崎までと幅広い。

昨年の主に県外生徒向けの高校推薦入試倍率は、2.3倍。島根県内の倍率が約0.8倍、都内公立校の平均倍率が約1.45倍ということから考えると、かなりの難関だ。県外から入学したいという人が後を断たず、中学生の段階から家族とともに移住した子どももいるという。

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