どうして、海士町でそれができるのか。豊田さんは、プログラムを提供できる人がどこまで地域に根を張って行うか、どれくらいの人がそれを応援してくれるのかによると話す。
人のつながり、熱気が島を変える
前述したように、海士町はかつて後鳥羽上皇を受け容れたという自負があり、そのことを原点として外の人を受け入れようとする懐の深さがあるという。また、島は人口減少、少子高齢化といった課題を抱える地域だが、そうしたことを逆に、教育リソース先進地だと考える大人が多く存在するのだそうだ。
実際、海士町は多くの人が携わり、教育面など様々な面での人的リソースが豊富になってきている。大手企業を退職して移住してきた人だけではなく、例えば、石破地方創生担当大臣が海士町を訪れた際には、高校生たちと車座になって少人数で海士町の活性化について話す機会があるなど、都会ではめったに考えられないことが海士町では頻繁にある。
常松校長は、こう話す。「海士町に来たら急に人が変わるなんてことはないので、主体的に動ける子、好奇心旺盛な子に来て欲しいですね。また、島留学をするにはある程度の「覚悟」も必要です。いくら魅力的な高校、地域や人がそこにあるからといっても、やはり都会から遠く離れた不便な離島です。「自分からここで学びたい」と思うくらいの覚悟がないと、3年間暮らすのは大変だと思います」
何もなかった町から、急速に発展した海士町。これから先は何を目指すのか。
「巡の環」の阿部さんが面白いことを言っていた。
「世界一の都市型モデルの島がシンガポールだとしたら、海士町を世界一のどいなかモデルの島にしたい」(阿部さん)。
そこにはきっと、目に見えない価値が沢山あり、心身ともに豊かに暮らしていける土壌がある。安心して子育てができ、自分らしく最後まで生きられる環境。それが海士町にはある。そうしたことが今後も海士町に人を呼びこみ、発展させていくような気がする。
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