生きづらさは性格ではない「かくれトラウマ」とは――親の顔色をうかがう子が、大人になっても解けない"防衛反応"の正体

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特に以下のような環境、いわゆる「機能不全家庭」などで育つ子どもたちは、ただ「波風を立てないように」生きのびる術を身につけていきます。

◼️家庭内の対立や争いが絶えない
◼️親が感情的に不安定で、怒鳴ったり、責めたり、無視したりする
◼️子どものニーズが無視され、愛情や世話が十分に注がれない(ネグレクト)
◼️身体的な暴力や、言葉による心理的虐待が繰り返される
◼️問題があっても、誰も口にせず、沈黙や否認が支配する「見て見ぬフリの文化」が根づいている

ほかにも、しつけや教育と誤認した「虐待」のなかで育った子ども、あるいは、病気や障害、精神的な不安定さ、あるいは経済的困窮を抱える家族に代わって、子どもが日常的に家事や介護、感情のケアを担う「ヤングケアラー」にならざるを得なかった子どもたちの心の中にも、明確なトラウマの記憶がなくても、体に刻まれた傷が静かに残り続けています。

体は、そのときの感覚をちゃんと覚えています。あの日、胸の奥にかすかに湧いた不安や孤独、息の詰まるような感覚──。それは今もなお、安心よりも警戒が先に立つ神経の反応として、体の奥深くに息づいているかもしれません。

「なかったこと」で身を守る

私たちの神経系には、生まれつき「今は安全かどうか」を一瞬で察知するしくみがあります。ポリヴェーガル理論(後述)では、これを「ニューロセプション(神経受容)」と呼びます。

安心できる経験が少ないと、その判断がどんどん過敏になってしまい、何気ない日常の場面でも「もしかしたら危ないかも」と体が先に反応してしまうのです。

それは身を守るための自然な反応です。こうして体の中に蓄えられた「終わっていない緊張」は、不調として表れたり、気持ちの波として、不安や怒り、虚しさとなって、ふと表れたりします。

どこか過敏で、それでいて鈍く、体も心も重たく感じる――。そんな感覚の奥には、言葉にならなかった記憶が、今も静かに流れ続けているのかもしれません。

あのとき、圧倒されてしまった場面。本当は逃げ出したかったのに、逃げることができなかった。本当は助けを求めたかったのに、声すら出せなかった。そのとき体は、「なかったことにする」ことでしか自分を守れなかった……。

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