――本作では、松坂桃李、伊勢谷友介、ビートたけしといった個性的な面々が悪役として、新たに参戦しています。
松坂くんは以前から悪役をやりたいと思っていたらしく、楽しんで演じていましたね。伊勢谷さん扮する高柳隆市は、「MOZU」の世界にいなさそうな人というイメージ。つねに汗だらけ、傷だらけな世界の中で、彼は汗もかかないし、靴もきれい、といった感じで存在してくれて。
まさに期待どおりでした。ビートたけしさんに関しては、「戦後日本の重大事件を影で操ってきた黒幕的存在」であるダルマができる人は誰がいるだろうと考えた時に、たけしさんしか思いつかなかった。もしたけしさんに出演していただけなかったら、本作のようなダルマが登場する話にはならずにまったく違う話にしようと思っていました。
――羽住監督は、俳優に対してとにかく「振り切れ!」と指示していたそうですが、俳優に対してどのように接しているのでしょうか。
僕は細かい芝居をつけるタイプではないですね。むしろ画面のイメージが先にあり、そこからどうやって芝居をつけるか、といった感じで作り始めます。細かい表情やニュアンスなどは俳優に任せます。
とにかく僕がやることは、場を用意するということ。たとえば『海猿』みたいな映画ですと、沈む船の中という場面を撮影するために、実際に数秒間も立っていられないようなセットを作るなど、そういった状況を固めていきます。目も開けられないような状況で芝居をさせることによって、俳優の熱量が画面に出てくると思うのです。なるべく吹き替えも使わずに、俳優には歯を食いしばってもらい、熱量をつねに高めたいと思っています。
「やっちゃっていい」という雰囲気作りが大事
――今でこそ、羽住監督が求めにスタッフにも対応してきたと思うのですが、最初のうちは「そんなむちゃなことはできない」といったような反発はなかったのでしょうか。
むしろみんなやりたいんだと思うのです。もともと好きだからやっている人たちなので、「やっちゃっていいんだ」という気持ちをどれだけ解放させるかという方が大きい。それは俳優も含めてなんですが、「やっちゃっていいんだ」という雰囲気作りが大事ですよね。
――昨今は、自分の中で勝手にハードルを作ってしまい、自主規制しがちな風潮がありますが。
やっぱりそのくらいやらないとこれまでの作品を超えられないよね、ということは、みんなの中にあるんだと思います。「MOZU」の連続ドラマでも、結構振り切ってやりきったのですが、劇場版では、それを超えることが基準点となる。その先に行くためには、どうすればいいんだろうと。そういう意味でハードルは上がっていると思いますね。
――たとえば、羽住イズムというものを俳優に浸透させるために心がけていることはありますか。
だいたい声をかける人は作品を観ている人なので、ここはある程度、俳優にきついことをやらせる組(映画スタッフ)だろうというのはわかっているはず。この人はいい俳優だろうけど、たぶんうちの組には合わないなという人にはオファーはしないですね。
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