47歳で役割を手放した吉岡マコさんの「新しい人生の始め方」――"ひとり親への支援"も"走ること"も全部「80代の自分」につながる

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2020年の6月に、私が代表を退く意思をインストラクター、事務局スタッフ、運営メンバーに伝えてからは、半年で準備を進めました。

パンデミック中だったので、全員と話すためにオンラインの少人数グループで、何度も対話の時間を持ちました。このニュースに驚く人もいれば、私の意思を受け入れてくれて、次期の役員に手を挙げる意思をその場で表明してくれた人もいました。

マドレボニータは議決権を持つ正会員の皆さんにも支えられていて、その数が当時は100人くらいいましたから、会員さんへの説明にも時間をかけました。説明会を3回行い、会員さんからの意見も受け付けました。応援の声もたくさんあったなか、厳しい意見もいただき、すべてのご意見に1件1件、お返事を書きました。

――創業者の交代は組織にとっても、個人にとっても、大きなエネルギーを使います。

私は一切、根回しはしていなくて、私が退任する意思を伝えるときに「新しいマドレボニータの運営を担いたいと思ってくれたら、理事に立候補してほしい」とだけお願いしました。結果的に6人が立候補し、代表理事はそのなかの2人が立候補してくれて、共同代表という形で就任しました。

代表理事の選出にあたっても、次の代表はプレッシャーに感じると思ったので、「これからはPTAの役員みたいに、持ち回りで担当するくらいの気持ちで引き受けてほしい」と話したこともあります。

実際、手を挙げてくれた2人は、相当な覚悟を持って共同代表を引き受けてくれて、アドバイザリーボードという、外部のアドバイザーの力も借りながら、自分たちらしい運営を試行錯誤しながら続けてくれています。

今はオンライン化も進み、産後ケアメソッドを受講してくれる人も増えています。組織として次のフェーズにいけたのではないかと思います。

自らの引き際について語る、吉岡さん(撮影:梅谷秀司)

役割が外れたあとに残ったもの

――代表を退いたあと、吉岡さん自身の人生のトランジションはどうでしたか?

個人的なトランジションは、長くハードでした。 本当は少し休んで、余裕をもってトランジションをじっくり進めたかった。でも、新団体をすぐに立ち上げて活動を始めたので、そういう余裕がなくて。

20年以上続けた仕事をやめても、立場が変わっても、生活も人生も続いていく。経営者は失業手当が出るわけでもないですし。

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