"月100頭出荷"の希少な豚が松屋銀座に並ぶまで。3Kイメージを覆し「みやじ豚」を育てた4代目の経営思想
2つ目は、流通の過程で生産者の名前が消えてしまうこと。豚は地域ごとに複数の生産者でブランド化されるのが一般的だが、実際には育て方や技術によって味には差が出る。それでも店頭では、生産者ごとの差が出ないよう、同じ銘柄として並べられる。つくり手の顔や仕事が見えない構造に、違和感を覚えていた。
こうした課題を解決するには、全量買い取りの仕組みに頼らない方法が必要だ。生産に加えて、流通、マーケティング、営業、商品開発、さらにはレストラン運営まで。豚を育てるところから、お客さんの口に届けるところまでを一貫して手がける「農業プロデュース」が必要だと考えたのだ。
「いかに『自分が継ぎたいと思えるような仕事にするか』ということを、ずっと意識していました」
しかし、帰省の折に、家業を継ぐ意思とこの構想を父親に打ち明けると、猛反対された。「お前の言ってることは理想論だ」「地に足がついてない」。
それでも、宮治さんの考えが揺らぐことはなかった。
お盆や正月に帰省するたび、同じような話を繰り返した。何度も対話を重ねるうちに、「そこまで言うなら」と、最終的には認めてくれたという。
そして会社を退職して、宮治さんがいよいよ実家に戻ったとき、心強い助っ人が待っていた。外食産業で働いていた弟・大輔さんが、すでに2カ月前に仕事を辞めて、養豚場の手伝いをはじめていたのだ。
「そうは問屋が卸さない」を、本当に体験した
父親が育てた豚を「みやじ豚」という形でブランド化することを、最初のミッションに掲げた宮治さん。
先に述べたように、一般の流通経路では、生産者の手元には育てた豚肉が残らず、出荷先すらわからない。そこで宮治さんは、「みやじ豚」として売るために、流通の仕組みそのものを見直そうと考えた。
屠畜場に出入りする問屋と交渉して、枝肉状のみやじ豚をストックしてもらう。そして、注文が入ったら、その内容にあわせてスライスし、直接お客さんへ送ってもらう仕組みをつくれないかと考えたのだ。
農協の担当者に相談し、屠畜場に出入りする問屋のリストを入手。そこから約20社に、一軒ずつ電話をかけてアポイントを取り、「みやじ豚」として売りたいという話をしにいった。


















無料会員登録はこちら
ログインはこちら