"月100頭出荷"の希少な豚が松屋銀座に並ぶまで。3Kイメージを覆し「みやじ豚」を育てた4代目の経営思想
さかのぼること、大学2年生の夏。宮治さんが自らの“原体験”と呼ぶ出来事があった。それは、大学の友人たちを誘って、宮治家の肉を囲むバーベキューを開いたときのこと。
「こんなおいしい豚肉を食べたことがない!」とみんなが興奮する様子をみて、父親が育てている豚の味がこれほど評価されるものだということに初めて気づいたという。
ところが、「この豚肉、どこで買えるの?」と聞かれたものの、宮治さんも父親も答えることができなかった。わからなかったのだ。
現在の日本の豚の流通システムでは、養豚農家は生きたままの豚を屠畜場に持っていき、屠畜場で枝肉になったものを問屋が引き取り、銘柄豚として取引先に出荷していく。そして、地域では一緒くたになってスーパーに並ぶため、消費者が買う段階では、生産者の名前は消され、誰が育てた豚かはわからない。育てている養豚農家でさえ、自分たちの手で育てた豚肉を日常的に食べることはほとんどなかった。
「実家で育てている豚肉を、どこで買えるかがわからない」
その小さな違和感が、やがて大きな問いへと育っていく。
朝のスターバックスで、言葉が降りてきた
それは2002年、人材派遣会社の営業をしていた、社会人2年目の秋のことだった――。
起業家精神を持った学生が集まる慶應大学のSFCで学び、仲間たちと切磋琢磨するなかで、いつしか起業を志すようになった宮治さん。大学卒業後は就職するも、「30歳までに起業する」と決め、毎朝5時半に起きて、出勤前にスターバックスへ通った。飲み会を断り、ひとりで考える時間をつくり、経営や成功哲学などのビジネス書を読み続けた。
学生の頃は、実家の養豚業を継ぐ気がまったくなかった。だが、起業を意識するうちに、なぜか農畜産業の本に手が伸びるようになる。当時はまだ、農畜産業をビジネスとして語る本はほとんどなかった。数えるほどしかなかった関連書籍を読んでいるうちに、日本の農家の地位の低さを感じるようになり、いつしか本気で実家の養豚業のことを考えていた。
「どうすれば、うちの養豚業がよくなるのか」。考え続けるなかで、ふっとある言葉が閃いた。
「1次産業を、かっこよくて・感動があって・稼げる3Kにする」
それはまるで、天命が降りてくるような感覚だった。
かつて「きつい・汚い・かっこ悪い」3K、さらに「稼げない・結婚できない」を加えた5Kとも言われ続けてきた農業のイメージを、根本から変えたい。
この言葉をきっかけに、宮治さんの人生は大きく動きはじめる。2005年6月、4年と3カ月勤めた会社を辞めて、藤沢の実家に帰った。


















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