山奥の「ミシュラン店」築いた女将の半生と「母みたいにならない」と家を出た娘が選んだ継承→時流に合わせた"経営改革"で昔話の世界を未来へ
すべてをイチから作る「生きる知恵」に価値を見出す
1997年9月、寺谷さんは智頭町長就任でみたき園の経営から手を引いた。その半年後には経営のすべてを商売経験のない妻の節子さんが担うことになった。
「今よりも、お客様が“来ない店”にします」
「来ない店」とはどういうことだろう? 節子さんが目指したのは、山のなかで特別なひとときを味わってもらう場所だ。「多くの人が来てすぐに帰ってしまうのは心苦しい。むしろゆっくりと楽しんで過ごしてほしい」という思いから、提供する料理を「きちっとしたもの」へと転換した。節子さんにとっての「きちっと」は、芦津の暮らしで代々引き継がれてきた手仕事と食文化だ。作り手は料理のプロではなく、この土地で暮らす人たちにこだわった。



















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