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山奥の「ミシュラン店」築いた女将の半生と「母みたいにならない」と家を出た娘が選んだ継承→時流に合わせた"経営改革"で昔話の世界を未来へ

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すぐに脳裏に浮かんだのは、子どもの頃、節子さんが仕事で忙しいなか作ってくれたシュークリームやアップルパイだった。2008年4月から2年間、飲食経験は未経験だったが、手探りで突き進んだ。その後、カフェスタッフに任せて、みたき園の厨房で2年修業した。

スタッフがイラストを描き、節子さんと亜希子さんが文章を監修したみたき園の料理紹介帖。カバーは自然素材の革製(筆者撮影)

2012年に結婚。鳥取市内に住むことになり、ひとりっ子の亜希子さんは寺谷の家を継げない心苦しさを、寺谷さんと節子さんに吐露した。すると意外な言葉が返ってきた。

「なにを迷うことがあるん? 生まれてきてくれただけでお父さんとお母さんを喜ばせてくれたんよ。みたき園も全部置いて出んしゃい」

実は寺谷さんと節子さんは結婚後なかなか子宝に恵まれず、不妊治療を経て8年後にようやく授かった待望の子どもだった。だからこそ、寺谷さんと節子さんは、大切なひとり娘に大きな重圧を背負わせたくなかったのだ。

しかし、知らず知らずのうちに亜希子さんのなかに使命感のようなものが芽生えていた。

「父と母、芦津の人たちが必死に生きてきたみたき園を、絶対になくしてはならない」

亜希子さんが守り、つなげたかったのは「生きる力強さ」だった。

創業50年を前に母が漏らした「店じまい」の言葉

「みたき園を辞めようと思う。精一杯留守を守ってきたから悔いはない」

創業50年が近づく2017年、節子さんは亜希子さんに告げた。休みなく走り続けてきたこともあり、体力的にも精神的にも限界を感じていたのだ。亜希子さんはすぐさま「私に継がせてください」と伝えるも、節子さんはかたくなに首を横に振った。

「1年はちゃんちゃん(=ケンカ)しました。亜希子の子どもが当時1歳だったから一緒にいてあげてほしかったんです。だって私のようになってしまうでしょ。なによりもがんばりすぎてしまうから」(節子さん)

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【「このハガキなに?」】

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