山奥の「ミシュラン店」築いた女将の半生と「母みたいにならない」と家を出た娘が選んだ継承→時流に合わせた"経営改革"で昔話の世界を未来へ
亜希子さんは節子さんに視線を向け、心からの願いを届けるように続ける。「昔のやり方のままでやっていたら、続かないと思う」。みたき園を次世代につなぐ方法を、これで正しいのだろうかと迷いながら模索する。
もはや節子さんが一人で抱え込む経営ではない。亜希子さんは、従業員一人ひとりに役割を与え、それぞれが主体的に働けるチームでの運営をめざす。
みたき園で働きたいと移住した若いスタッフのほか、耳の不自由なスタッフ4人、外国人留学生のスタッフ5人が、みたき園を支えてくれている。過去にスタッフが辞めるたびに、亜希子さんは自宅に帰る車のなかで「もっとなにかできたのではないか」と自身の不甲斐なさを涙を流しながら悔やんだこともある。
本来の自分を取り戻せる場所をめざしたい
亜希子さんは、みたき園は「ひとを縛るところではない」と語る。「人々が自然とつながり、もっと自由な空間にして本来の自分を取り戻せる場所」をめざしたいと意気込む。
最後に亜希子さんに、みたき園をゼロから作った両親がどんな人なのか、聞いてみた。
「父は器の大きな伸びやかな人です。破天荒で突拍子もないけれど繊細で優しくて。母は芯があって何がなんでもあきらめない根性の人。ふたりのいいところを受け継いでいるのを実感しているので、これからも2馬力分頑張るつもりです(笑)」
取材が終わると、お土産処は店じまいし、あたりはしんと静まっている。
「すっかり遅くなってしまいました、よかったらご家族みなさんで」と、若女将が栗ごはんとおからを包んで手渡してくれ、車に乗り込む。
門の前には、節子さんと亜希子さん、寺谷さんに留学生のスタッフが2人。5人でなにやら談笑している。
「ありがとうございました」と車の窓越しに声をかける。全員が振り向く。おだやかな笑顔を向け、大きく手を振って見送ってくれた。
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