山奥の「ミシュラン店」築いた女将の半生と「母みたいにならない」と家を出た娘が選んだ継承→時流に合わせた"経営改革"で昔話の世界を未来へ

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そして、遠方からわざわざ時間をかけてみたき園を訪れてくれた客に感謝の気持ちを伝えるために、1卓1卓女将として挨拶に訪れ、どんな料理なのかも丁寧に説明する。

みたき園
ひとつひとつ料理の説明をする節子さん(みたき園提供)

驚くことに、みたき園は創業時から“お客様ファースト”を徹底し、冬季休業時以外の4月から11月は無休だったという。節子さんは、休みなしで働き続けていたということになる。

商売経験のなかった節子さんだからこそ、効率や常識に縛られず、手仕事と真心を突き詰められたのかもしれない。素朴で豪華な山菜料理と丁寧な接客に、年々ファンがつき、比例してリピート客も増えていった。

みたき園
香りゆたかな旬の山菜。冬季営業が明ける春は、山菜のしゃぶしゃぶ鍋を心待ちにする常連客がたくさんいる(みたき園提供)

母みたいになりたくない、素晴らしい場所とも思っていない

「大人になったら絶対にお母さんみたいにはなりたくない」

これは、若女将であり、ひとり娘の亜希子さんが小学生のときから胸のうちに閉じ込めていた言葉だ。

土日はおろか、夏休みも冬休みも年末年始も、家にいない。みたき園をひとりで切り盛りする母の背中を見ていたから、「寂しい」と口にすれば、その努力を否定してしまう気がして言えなかった。

それでも「そばにいたい、姿を見て安心したい」と、節子さんの仕事場であるみたき園に遊びに行っていた。

みたき園
「みたき園は母そのものです」と語る、若女将・亜希子さん(筆者撮影)

当時の亜希子さんにとってみたき園はどんな場所だったのだろう。

「特に素晴らしい場所とも思ってなかったですね。川に花やラムネ瓶があるとか、季節のものが添えられるとか、ビニールひもをつけないとか。それが当たり前の風景でした。継ごうとかは何も考えていませんでした」

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