山奥の「ミシュラン店」築いた女将の半生と「母みたいにならない」と家を出た娘が選んだ継承→時流に合わせた"経営改革"で昔話の世界を未来へ
一方で、その風景をつくりあげるために、てきぱきと働く壮年男性や老齢女性の姿は、亜希子さんにとって“立派な大人”として目に焼きついていた。
空港勤務で感じた違和感と「生きづらさ」
大学卒業後、亜希子さんは空港に就職する。接客しているうちに、少しずつ違和感を覚えるようになった。
「空港では常に最悪の事態を前提に、お客様をご案内していました。悪天候の場合に飛ばない場合があります、ご了承くださいと言いつつ、お客様よりも会社を守っているような感じがしたんです。業務を積み重ねていくうちに、生きづらさのようなものを感じるようになりました」
客を心からおもてなしするみたき園の接客風景を当たり前なものとして育った亜希子さんは、会社勤めをして改めて育ってきた環境を振り返った。
森のなかで時間を忘れてゆったり流れるひととき。山菜を採り、野の花を飾り、1品1品料理を作る。
亜希子さんが当たり前に過ごした世界は、効率的でスピーディーに、規則正しいものを提供する商品サービスとは180度真逆の世界だった。
ある日、転機が訪れる。みたき園内の喫茶室と経理回りを担っていた亜希子さんの祖母(節子さんの義母)が病床にふし、節子さんが厨房と接客に加え経理まで、全部を負うことになったのだ。辛抱強い節子さんはなんとか一人で乗り切ろうとしていたが、亜希子さんは微力でも力になりたいと思った。
でも、芦津集落というごく狭い場所に閉じ込められてしまう怖さからみたき園に戻る覚悟を持てず、心は揺れ動いていた。
だが、亜希子さんのスイッチが入る。節子さんがもぬけの殻になった喫茶室を第三者に事業譲渡しようと漏らしたのがきっかけだった。
「知らない誰かがやるのだけは、嫌だ」
2007年12月、亜希子さんは会社を退職。ひとまずは自由にやろうと、畳敷きの和室だった喫茶室を、みたき園とは趣の異なるナチュラルな雰囲気のおしゃれなカフェにリニューアルした。並行して、4カ月かけてメニュー開発をする。



















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