その動画はネットでシェアされ66万回以上再生されたという。しかも、その様子を撮影していた生徒たちは学校側の介入を妨害したとの証言もあった。高校3年生の「ケンカはすぐにエンターテインメントになってしまう」「罪悪感も共感も微塵もない」という嘆息は、生徒たちの傍若無人ぶりを表している(同上)。
「楽しそうにする生徒」に問題はないのか
今回の暴行動画は、ケンカ自慢などが強さを競う格闘技イベント「ブレイキングダウン(BreakingDown)」の真似をしたともいわれている。10秒足らずの動画だが、殴る、蹴るといった暴行だけでなく、周囲で楽しそうにはやし立てる生徒たちが映っているのが見逃せないポイントだ。
もはや過激な動画を撮る・共有するという目的のために、本来必要のない暴行が行われるという手段と目的の逆転が起こっているのではないか……そんなふうに思えてしまう動画なのだ。言い方は悪いが、彼らがしているのは「インスタ映えするいじめ」「撮れ高があるいじめ」なのである。
むろん、動画の共有は、ラインなどの通信アプリで仲間内のみで行われることが多いが、それが外部に流出することも珍しくない。当然内部告発もあるが、実のところ、当事者たちの「いいね」欲しさが潜んでいるからでもある。
心理学者のクリスティーナ・サルミヴァッリは、いじめが行われる際に傍観者(仲間)が通常その場に居合わせ、加害者に社会的報酬を与えることが多いとし、そのような報酬(笑い、歓声など)が多ければ多いほど、いじめが教室や仲間内で継続される可能性が高くなると主張した(Participant Roles in Bullying: How Can Peer Bystanders Be Utilized in Interventions?/Theory into Practice)。
サルミヴァッリの見解は、SNS上における見ず知らずの傍観者との関係性にも広く応用されている。
投稿された動画のインプレッションの増加が、加害者に「その行為は面白い」「支持されている」というメッセージとして認識され、暴力を正当化させる報酬として機能し得るからだ。
衝撃的なシーンを簡単に録画でき、リアルタイムで反応を得られるテクノロジーの浸透は、単なる事実の伝達以上に、暴力性を増幅させる道を開いた。
加害者には「承認」という報酬を与え、再犯と過激化を促す。視聴者には「暴力の効用」を学習させ、被害者にはデジタルタトゥーという新たな暴力を生じさせる。




















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