ブラック労働で心身疲弊→「生活を立て直そう」と引っ越したら…地方出身・25歳が選んだ「音楽と古着の街」で起きた大変化

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仕事を辞めることは相当悩んだが、自由人が集う高円寺の街にはゆったりとした空気が流れていて、私もいつしか肩の力を抜いて暮らせるようになっていった。

家ではないどこかで、ぼーっとゆったり過ごしたい。ささやかなようでいて意外と叶わないその望みを、高円寺は叶えてくれた。

高架下の柱
スプレーで落書きされがちだった高架下の柱は、ポップな水玉になっていた(筆者撮影)

駅周りを抜けて高架下を西側に歩いていくと、その両脇には住宅街が広がっている。似たような通りに家が密集しているため、住み始めたばかりの頃はよく迷子になった。目印になるような建物は少なく、地図を見ないで歩いているとまっすぐ進んだつもりが斜めだった、ということがあったり。

私が生まれ育った北海道の地域は、碁盤の目状に区画整理されていて視界が開けている場所が多い。道は広く平らでまっすぐ、本州に比べると古い建物は少ない。だから道が狭く入り組んでいて、新旧入り混じった家々が並ぶ高円寺の街並みには、東京らしい味わいを感じる。

住みやすい家でコロナ禍を乗り切った

当時住んでいたのは、自分の年齢とさほど変わらない築年数の1Kアパートだ。水回りがリフォームされていたからか古さが気にならず、何よりも南向きを含む3面採光が気に入った。

風の通りがいいので、家にいるときはよく窓を開けて過ごした。周りは一軒家が多く、平日朝8時になると向かいの家の前にケアホームの送迎バスが留まり、週末の昼には隣の家からおりんの音が聞こえる。そんなふうに人の生活の気配が感じられるのも、嫌いではなかった。 

駅前フードエリア「高円寺マシタ」の看板
駅前フードエリア「高円寺マシタ」の看板。夕方、サラリーマン2人が店に吸い込まれていった(筆者撮影)

住んで数年経った頃、コロナ禍が訪れた。思いもよらず長い時間を家や近所で過ごすことになり、閉塞感のある日々を耐えられたのは、この街で心地よい生活の仕方を覚えたからだろう。

それから時が経ち、私は別の街へと引っ越した。今暮らす街でも、心穏やかに過ごせている。暮らしを取り戻した高円寺でのゆるやかな時間は、今も自分の土台になっている。

【この連載の人気記事】「若いうちは東京で働くのもアリか…」→「この街を離れたくない」 就活失敗で失意の上京、23歳彼女が選んだ「ゆとりのある街」で起きた"大変化"
白川 穂先 エンタメコラムニスト/文筆家

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しろかわ ほさき / Hosaki Shirokawa

1994年生まれ、北海道出身。エンタメ企業と編集プロダクションで編集・取材・執筆を経験し、フリーランスとして活動。おもに芸能、ドラマ、映画、アニメなどエンタメ記事の企画・執筆を幅広くおこなう。

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