「4年ですでに返済額は500万円になっていたので、これ以上奨学金を借りるのは怖かったんですよね。そこで、塾の講師を始めました。そのバイト先がとても良くて、フランチャイズのような形で何十店舗もある中、全国トップの成績になったんです。自分たちでがんばったことが成果として実り、生徒もそれを誇らしそうにしていて……。
“自分たちががんばることで、周囲に勢いを与えられる”ということに感動して、大学卒業後は営業職として働きたいという目標ができました」
就職後はさらに過酷な状況に
塾講師バイトのおかげで、どうにか真人間に戻っていった様子の関根さん。1浪1留の末、関根さんは大学を卒業。大手の総合電機メーカーに就職した。「1回休み」はあったが、大学に入ったことで、地元では就けなかった仕事にありつくことができた。
「地元に帰って『どんなもんだ!』と威張り散らかしたかったのですが、みんながトサカ頭にするような成人式に行かなかったため、社会人になる頃には地元との縁も切れていて、友達もいなくなっていました。両親も県外に家を建てて引っ越したため、地元に行く機会もありません。
仮に付き合いが残っていても、みんなとっくに結婚して子どもを作って、僕よりひと足早くライフステージを駆け上がっていたので、きっと惨めな気持ちになっていただけでしょうね」
「地元への復讐」だけを拠り所にがんばってきた関根さんだったが、就職後はさらに過酷な状況に陥る。
「いくら大企業といっても、1年目の初任給は22万円程度。確かに留年中のバイト代よりは稼げていましたが、張り切って5万円のアパートから8万円のアパートに引っ越したり、調子に乗って“夜のお店”に月2回は行っていたら、給料なんてすぐになくなってしまいます。そして10月からは、奨学金の返済が月2万8000円ずつ始まります。もう、スタート地点なのにお金がありません」
先程、就職後はさらに過酷な状況に陥る……と書いたが、実態としては「自ら過酷な状況に陥る」だったようだ。
しかも、関根さんには何度か滞納していたためバイクローンの返済も残っていた。首が回らなくなった関根さんはクレジットカードを作ろうとするが、滞納歴のせいか限度額は10万円に設定された。
自転車操業を続けていたが、3年目でついに限界が来て、消費者金融に頼ることにした。



















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