「12歳でひとり暮らし」「妹を海に突き落とす」…父母の喧嘩が日常茶飯事だった毒親家庭で育った兄妹、「大好きなのに音信不通」の哀しい"現実"

✎ 1 ✎ 2
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

こうしたあからさまな扱いの差から、兄は心を閉ざしていく。もともと寡黙で不器用な人だったが、祖父母の家に引っ越してからはさらに加速していった。その代わりとばかりに筆者は家族のムードメーカーとしての役割を押し付けられるようになった。振り返ってみると、筆者は筆者なりの地獄を幼少期から背負っていたと思うが、殴られるよりはずっとマシだった。

一生埋まらない溝が生まれ、家族は全員バラバラに

トートバッグ Nemurenai
「さようならドラえもん」のワンシーンをトートバッグにプリントした「トートバッグ nemurenai」。藤子・F・不二雄ミュージアムで購入(筆者撮影)

筆者が小学5年生になったころ、兄が祖父からひどく殴られたことがあった。その様子を見ていないので実際には何が起きたのかわからないが、その日から兄は母屋の隣に建てられた離れで半ひとり暮らしを始めた。それ以来、祖父と兄が直接会話することはほとんどなくなった。

もちろん、筆者も兄と一緒に暮らしたかった。

「私もお兄ちゃんと住む」

「お前がおっても邪魔なんじゃ。来んなや」

「嫌じゃ、一緒におりたい」

「あそこは俺の家じゃけえ入るな」

ちょっとだけ涙目の兄から「来るな」と拒絶されてしまった。兄が大好きだった筆者は、兄が嫌がることはしたくなかった。

これが明確に家族がバラバラになった瞬間だった。ちなみに、この日以来ほとんど離れに入れてもらえなくなったので、筆者は合計10年ほどしかお兄ちゃんと一緒に暮らしたことがない。

12歳にして半ひとり暮らしをはじめた兄は、ますます妹を遠ざけるようになった。学校で会っても無視は当たり前で、不審者の情報によっておこなわれた集団下校でも、背が高く足の長い兄はちんちくりんな妹を置き去りにして帰っていく。

付き添いで歩いていた兄の担任も心配になったのだろう。違う学年の妹にも声かけをしてくれた。

「お兄ちゃん、いつもああなん?」

次ページ私は嘘をつくしかなかった
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事