「12歳でひとり暮らし」「妹を海に突き落とす」…父母の喧嘩が日常茶飯事だった毒親家庭で育った兄妹、「大好きなのに音信不通」の哀しい"現実"
子どもがテーブルの下で手を取り合って震えるような「機能不全家族」で支え合いながら育ったからこそ、今でも兄妹仲が良いのではないかと思う人もいるだろう。しかし、筆者の家族においてはそうならなかった。いや、なれなかったのだ。
その大きな理由は、兄が祖父から、日常的に暴力を受けていたことにある。
昭和の頑固祖父による苛烈すぎる躾
両親の離婚により、母方の祖父母の家の隣に住み始めてから、兄の人生が大きく変わった。それまでは男児ということもあり、母からの愛を一身に受けてきた兄。しかし、団塊世代真っ只中で頑固な祖父とは折り合いが悪かった。
祖父は非常に厳しい人だった。現代なら、パワハラ・モラハラで真っ先に叩かれてしまうような典型的な昔かたぎの職人なのだ。船の修理をするエンジニアとして、努力と根性だけで出世をしてきた。だからこそ、男である兄には特に厳しかった。
「もう宿題する時間じゃないんか」
「今日は観たいテレビがあるけえ終わったらやる」
「この時間にやるゆうたんじゃけえ、男なら最後まで約束守らんといけんじゃろ!」
そこには、「自分と同じ苦労はしてほしくない」「両親がそろってないからとバカにされてほしくない」という祖父なりの愛があったのだろう。しかし、暴力によるしつけが原因で兄は祖父から離れることを選ぶ。
兄にとって不幸だったのは、妹は殴られなかったことだろう。孫娘はかわいかったのだ。兄と違って口も達者で、コミュニケーション能力も高い筆者は、祖父にとにかくかわいがられていた。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら