泉房穂「本人の幸せは本人にしか決められない」 障害がある弟の「満面の笑み」が教えてくれた
明石市長時代、「やさしい社会を明石から」をスローガンに、子育て支援策を中心とした福祉政策の拡充を図った泉房穂氏は、昨今の閉塞する日本社会の根底には「横並び主義」や「前例主義」に代表されるさまざまな忖度が存在していると喝破します。
そんな泉氏が「やさしい社会」を目指すことになったきっかけのひとつともなった、障害がある弟とのエピソードを振り返ります。
※本稿は、泉氏の著書『さらば! 忖度社会 崖っぷちニッポン改造論』から、一部を抜粋・編集してお届けします。
無理心中をし損ねた母からの痛烈な言葉
家族や地域の貧困と、障害を持って生まれた弟と私たち家族への差別。この2つの理不尽に加えて、人生3つ目の節目となる出来事が起きたのは、私が6歳、弟が2歳の時のことでした。弟は障害者手帳に「起立不能」と書かれたのです。
この4文字は強烈な印象として私の中に残っています。そして、その言葉に絶望した母が、弟を連れて無理心中を図りました。しかし、母は死にきれずに弟を連れて戻ってきた。
母は、私に似ていて口が悪いのですが、当時は「お前のせいで死ねなかった」と私を罵りました。「あんたが悪い。あんたがおると思ったら死なれへんかった」と。
そこまでは、まだいいのです。母はさらに言いました。
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