泉房穂「本人の幸せは本人にしか決められない」 障害がある弟の「満面の笑み」が教えてくれた

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その思いが最高潮に達したのが、弟が入学してまもなく、全校生徒で出かけた潮干狩り行事の時でした。当時、なんとか自力歩行できるようになっていた弟ですが、浅瀬の砂浜はただでさえ足元が不安定になりやすく、私は気が気ではなくて、遠くから弟のほうをチラチラ見てばかりいました。

すると、弟がわずか10センチくらいの浅瀬でうつ伏せにひっくり返ってしまったのです。転んだら自力では起き上がることができませんから、そこで弟はブクブクと苦しそうに溺れてしまいました。

ところが、周囲にいる人は誰も、弟のことを助け起こしてはくれなかったのです。きっとそんなところで溺れるなんて夢にも思わないから、びっくりして動けなかったのだろうと今では思っています。それでも、誰一人、弟に手を差し出してくれる人がいなかった事実は、私をとても傷つけました。

私は、走っていって溺れている弟を抱え起こしました。体の弱い弟は、本当に苦しそうに浅瀬の水のところでブクブクもがいていました。びしょ濡れの弟の手を引いて家に帰りながら見上げた空が曇っていたのを、今もよく覚えています。

こんな地球、爆破したろか、と思うくらい悔しくて悲しくて、絶対に復讐してやると心に誓った。命を投げ出してでも、一生をかけてこんな社会を変えてやる、それが僕にとっての復讐や、と誓いました。10歳のあの時、曇り空に向かって立てた自分の誓いに忠実に50年間を生きてきた、と自分では思っています。

運動会に「僕は出るんだ」と譲らない弟

もうひとつ、私が弟から学んだ政治哲学があります。

弟が小学校に入学して初めての秋の運動会、春の潮干狩りでの一件もあり、弟は参加せずに黙って見学していました。私も、それはしょうがないよな、と思っていました。ところが、2年生の秋になると、弟が自分も運動会に出たいと言い出した。私は6年生になっていました。

次ページはじめは「できるわけがない」と反対
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