泉房穂「本人の幸せは本人にしか決められない」 障害がある弟の「満面の笑み」が教えてくれた
潮干狩りの時の弟の姿を思い浮かべた私は「やめとけ」と言いました。「迷惑をかけるだけや。よちよち歩きのお前がかけっこなんて、できるわけないやないか」と言ったのですが、弟は泣きじゃくって「僕は出るんだ」と譲らない。
最後は両親も根負けして、形だけでも出させてやろうという話になり、学校の先生に頼んで、かけっこに出場させてもらうことになりました。
今の時代であれば、少し前のほうからスタートさせるなど、ハンディに対してそれなりの配慮があるものですが、当時はそのような配慮もなく、全員で同じスタート地点からの「よーいドン」でした。
弟の「満面の笑み」が教えてくれたこと
30メートル走だったか50メートル走だったか記憶が定かではありませんが、合図とともに子どもたちは一斉に走り出し、拍手されながらあっという間にゴールに駆け込んでいきましたが、弟はまだスタート地点から10メートルくらいのところで、よちよちと歩いていました。
その弟の姿を見て、私は内心「だから言わんこっちゃない、こうなることはわかっとったやないか」と思っていました。自分のクラスメイトと一緒に座って見ていたので、「ああ、みっともな。止めりゃあよかった」なんて考えてもいた。
そうしてふと走っている弟の顔を見ると、これまで見たこともないようなうれしそうな表情を浮かべていたのです。生まれて初めて見る弟の満面の笑みでした。その顔を見た瞬間、私の目から涙がボロボロと出てきました。
ここまで家族で一緒に闘ってきたのに、そして自分は兄貴なのに、なぜ運動会で走りたいという弟のことを応援できなかったのか。弟がかわいそうだと言いながら、実際は、自分がみっともない思いをするのが嫌だっただけではないか。自分は何もわかっていなかった。そう思ったら涙が止まりませんでした。
「本人の幸せは本人にしか決められないし、本人が決めるべきもの」という私の政治哲学のもうひとつの原点がここにあります。
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