「12歳でひとり暮らし」「妹を海に突き落とす」…父母の喧嘩が日常茶飯事だった毒親家庭で育った兄妹、「大好きなのに音信不通」の哀しい"現実"

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ドラえもんとのび太像
再会を喜び抱き合うドラえもんとのび太。ドラえもんの優しい笑顔に注目だ(筆者撮影)
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毎年エイプリルフールになると、思い出すドラえもんの映画がある。1998年公開の『ドラえもん のび太の南海大冒険』の同時上映作品である『帰ってきたドラえもん』だ。

本作は、てんとう虫コミックス第7巻に収録されたエピソードをアニメ化した作品だ。突然未来に帰ることになってしまったドラえもん。「帰ってきた」というスネ夫の言葉を信じ、街中を探し回るのび太。しかし、それはエイプリルフールの残酷な嘘だった。その嘘だけは許せなかったのび太がドラえもんが残した道具を使って手にした、嘘が本当になるひみつ道具「ウソ800」でスネ夫とジャイアンに仕返しする……という内容である。

最終的にこのひみつ道具のおかげで、ドラえもんは未来から帰ってくる。感動的なクライマックスに毎回胸を打たれるのと同時に、筆者はなんとも切ない気持ちになる。なぜか。筆者は、兄とおそらくもう会うことができないからだ。

筆者はいわゆる「毒親サバイバー」である。そして、同じ家庭環境で育った兄は、ドラえもんのようにある日突然いなくなってしまった。

私たちは対照的な兄妹で、それぞれの地獄を背負っていた

連載初回でも述べたが、筆者は毒親のもとで育った。かつて物が飛び交う両親の喧嘩から隠れるため、兄と一緒に震えながらテーブルの下に隠れて抱き合っていた。私にとっての兄は、のび太にとってのドラえもんと同じだったのだ。生まれてからずっと、隣にいた兄と支え合って生き延びてきた。

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