『ホタルノヒカリ』の作者、ひうらさとるさん(59)が明かす半生。「恋愛失敗・Wローンに追われた30代の暗黒期」から「名作誕生の裏側」まで

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一方、美術系の高校に通っていたんですが、将来が見えないなとも感じていて。デザイン会社に入るとか、会社員になるのも向いてないし、嫌だなと。何だったらできるだろうと考えていたら、ふと、「漫画なら得意だったな」と思い出したんです。

――そこから、職業としての漫画家を意識された。

はい。就職先を探すように、自分がデビューできそうな雑誌を吟味していました。若い作家や絵柄がかぶる作家が少なく、高校生デビューが多い雑誌。それが『なかよし』(講談社)だったんです。

増刊号に2~3作掲載されたら、本誌で読み切り作品。短期連載を経て、長期連載のチャンスが巡ってくる──そんな昇格ルートが見えていたのも選んだ理由の1つです。

『なかよし』1987年6月号(画像:ひうらさん提供)

アドバンテージは「若さ」

――10代ですでに戦略的にデビューを考えていたんですね。

そうですね 高校2年の終わりに進路相談があるから、それまでにはデビューして「漫画家になったので、進学しません」と先生や親の前で宣言しようと思ってました(笑)。私にとっては会社員になるより現実的だし、うまくいく可能性も高いはずだと。

この仕事をしていると、よく「才能があるんですね」と言っていただきますが、昔も今もそんなふうに思ったことないです。高校生のうちにデビューしたかったのは 、自分のアドバンテージは「若さしかない」と考えていたからですし。

――デビューまでの壁はありましたか?

『なかよし』に3回投稿したら賞をいただいて、担当編集がつきました。

その担当さんから「これ、君が描きたいものじゃないでしょ」と言われて、「もっと描きたいものを描いたほうがいい」と。とにかくデビューできるもの、みんなに喜んでもらえるものを描こうと必死だったんです。

でも、そこから日常を題材にした作品を描くようにしたら、ちょうど雑誌に穴があいて、「そこ、載せていいですか」と。それが実質的なデビュー作になって……。高校2年の進路相談にも間に合いました(笑)。

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