重度障がい者が在宅で自分らしく暮らせる未来のために、また介護士が働きやすい環境をつくるために。今年2025年、青木さんは会社をつくった。現在は福祉専門学校などでの講義や障がい者理解に関する講演の仕事をしながら、ヘルパー派遣の本格始動に向けて準備中だ。
青木さんの挑戦は、恐れから逃れるためだけの選択ではない。
「本来、負けん気の強い性格なんです。他の人がやっていることは、自分もできるようになりたい。ひとり暮らしも、仕事をすることも、あきらめたくありませんでした。先に亡くなってしまった兄の分まで生きて、いろんな経験をしたいんです」
6歳年上の兄とは、子どものころから仲が良く、一緒にテレビを見たりゲームをしたりして過ごしていた。同じ病気を抱え、互いに励まし合いながら生きてきた。青木さんにとって兄は、いちばんの理解者であり、悩みを分かち合える唯一の存在。だからこそ、2年前に兄が亡くなったときの喪失感は大きかった。深い寂しさのなかで、「もっと何か言ってあげられたことがあったのでは」と自らを責める日もあったという。
「でも、今はふっきれています。先のことはどうなるかわからないけど、亡くなったらまた天国で会えるような気もするのでーーそれまでにできることは全部やりたい。人のためになることをして、ちゃんと会社を運営して、誰かの役に立つ人生にしたい。それを兄に報告できるように生きたいと思っています」
喪失を、前進する力に変える。兄に報告できる日を思い描きながら、青木さんはいまを生きている。
暗闇に突き落とすのも手を差し伸べるのも“人”
力強く前進する青木さんだが、最初から前向きだったわけではない。
小学2年生までは普通学校に通っていた。当時「なんで車いすなの?」「なんで病気なの?」──そんな無邪気な言葉が、幼い心には鋭く刺さった。体育の時間に立って歩く同級生を見ながら、「自分もあの輪に入りたい」と思っても、それはかなえられない。



















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