何とかしたい具合の悪い頭の使い方--『学ぶとはどういうことか』を書いた佐々木毅氏(学習院大学法学部教授)に聞く
東日本大震災は「学びの蓄積」に壊滅的打撃を与え、想定や手本を超えた思考や行動を人々に求めた。学びについて、あらためて現代の碩学を執筆に駆り立てたものとは。
──今、なぜ「学び」がテーマなのですか。
この1年を見ていると、あらゆる分野で人材に問題のスポットが移っている。具合の悪い頭の使い方をする人たちが集まって、物を動かそうとしているのではないか。それを改善すべく、根っこから「泥さらい」をするとどういうことになるか、を考えてみた。
われわれ教育に携わってきた人間は、「学ぶとは」などと書きたくないものだ。おまえたちがさぼってきたから不十分な人たちが増えているといわれてしまう。しかし、根源をたどっていくと、精神的なスタミナ切れがいろいろなものの混迷を継続させているように見える。自分はよくわかっていると思っている人たちを含めて、ブラインドスポットはあるものだ。
──精神的なスタミナ切れ?
戦後30~40年、安定した仕組みにおぶさって生きてきた人間が多すぎた。その中ではマニュアルどおりにすればやってこられた。それが崩れている。システムが、決め打ちしていた世界と違うものに変わり、ここ20年近く今までのノウハウの賞味期限がどんどん切れている。言葉を換えれば、マニュアルが終わった時代という言い方もできる。
歴史は、大きく変わるときと安定するときとがリズムを組む。この20年近く、これが新たな仕組みの“解”だと、いろいろなものにぶら下がってみたが、どうもそれだけでは解とはいえない。しかし、先を切り開くためにはとにかくトライアルしなければダメだし、だんだんおカネも乏しくなってきて、なおさら頭を使わなければいけなくなっている。