何とかしたい具合の悪い頭の使い方--『学ぶとはどういうことか』を書いた佐々木毅氏(学習院大学法学部教授)に聞く

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そして昨年、先進国では日本でしか起こらないようなことが起こった。大地震、しかも原発事故と。いよいよ解をどこかに聞きに行ったら教えてくれるというものではなくなった。自分で考えよというコーナーに、われわれ自身がこの1年追い込まれている。そういうときに専門家や科学者はどれだけ役に立つかが問われて……。

──評価が芳しくありません。

科学は科学のためにあるという議論がある。真理は真理のためにあると、昔風にいえばそうなる。それに対して科学は社会のためにあるという議論ももちろんある。科学の歴史の中で行ったり来たりしながら、この議論はなされてきた。戦後の日本は、科学は科学のためにという色彩が強い。戦前にあまりに体制に協力しすぎたから、その反動で科学は自己目的化した。

それだけ科学者には、社会の中で生きているけれども、社会とどういうふうに対面するかという問題は成り行き任せのところがあった。それでも社会科学のほうは少なからず立場があるものの、テクノロジーの人はどういうふうに世の中と対面したらいいのかについてわからないまま現在まで来た。

──科学には専門性がつきものです。

自分が手掛けていることは、現実の中のある限られた事情を研究している。それ以外はわからないとして、そこで自らの存在関係を断ち切るのが科学者の一つの態度だ。手掛けているもの以外、これもあれもわからないと言っていると、あなたはそんなことでいいのかと糾弾されるリスクが現場的にはいつもある。

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