"史上最強"のザックジャパンはなぜ惨敗したのか? 元日本代表・今野泰幸が今だから明かす「俺たちのサッカー」の内実

2026年北中米ワールドカップ(W杯)で「優勝」という壮大な目標を掲げる日本代表。9月には1年後の大舞台の開催地・アメリカで、メキシコ・アメリカ両国と激突。キャプテン・遠藤航(リバプール、以下選手名・監督名後ろのカッコ内は現所属チーム)を筆頭にフルメンバーが先発したメキシコ戦は、スコアレスドローに終わったが、11人総入れ替えで挑んだアメリカ戦は0-2の完敗。選手層の薄さを露呈した。
日本代表は10月にはパラグアイとブラジル、11月にはペルーという難敵と対峙することになっているが、ここから足踏み状態が続くと、選手たちの不安が高まり、周囲の雑音も大きくなりがちだ。
それを実際に経験したのが、“史上最強”との呼び声の高かった14年ブラジルW杯に挑んだ「ザックジャパン」の面々だ。とりわけ、吉田麻也(LAギャラクシー)とともに最終ラインを担っていた今野泰幸(南葛SC)は「W杯前の重圧」を強く感じた1人である。
【インタビュー後編】「セリエAへ行くと考えたら怖さが勝った…」 日本にとどまり続けたサッカー元日本代表・今野泰幸が見せた"充足"と"反省"
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今野を襲った過去最悪のスランプ
「W杯が近づくにつれて、めちゃくちゃプレッシャーを感じるようになっていったんです。『自分は代表のレギュラーだ』とか『もうすぐW杯がある』という意識が高まり、14年になってからは変に守りに入っちゃった」
同年の今野は過去最悪のスランプに陥ったと本人も言い切る。
「本当に絶不調に陥りました。下からは伸び盛りの森重(真人=FC東京)も追い上げてきてましたけど、『このまま無難にやっていたらレギュラーで大舞台に立てるな』という打算も頭に浮かんだりして、どんどん硬くなった。そんな悪循環が最後まで続きました」
今野は10年南アフリカW杯のメンバーだった。コンサドーレ札幌時代からの恩師・岡田武史監督(FC今治会長)が率いるチームで貢献したいという思いも強かったが、出番を得られたのは、グループリーグ第3戦・デンマーク戦の後半43分からの数分間。その分、14年に懸ける思いが強かったのだ。
実際、10年秋に就任したアルベルト・ザッケローニ監督は今野を重用。本職のボランチではなかったものの、吉田とともにセンターバックで起用し続けた。
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