"史上最強"のザックジャパンはなぜ惨敗したのか? 元日本代表・今野泰幸が今だから明かす「俺たちのサッカー」の内実

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「ボールのつなぎや攻撃の組み立てを教われたのはものすごく新鮮だった。僕自身、多少なりとも前進しているように感じていましたし、『自分が世界と戦えることを証明したい』という思いが強まっていきました」

そう手応えを感じていただけに、大会前の不振は想定外だった。

苦境に陥ったのは、今野1人ではなかった。13年6月のコンフェデレーションズカップでブラジル、イタリア、メキシコに惨敗してからチームは揺れ動くようになった。指揮官は大迫勇也(ヴィッセル神戸)や山口蛍(V・ファーレン長崎)ら若手を抜擢するものの、既存戦力との融合がなかなか進まなかった。

さらには「俺たちのサッカー」を主張する本田圭佑ら攻撃陣と、「勝利を最優先に考えるべき」という内田篤人ら守備陣の考え方が徐々に乖離。チームの一体感が薄れていく。

そして14年に入ると、長谷部誠(フランクフルトU-21コーチ)、内田ら主軸が相次いで負傷し、長期離脱。今野自身も不調にあえぐなど、誰も想像できないほどの悪循環が続いた。

本番前の国内キャンプでの過度な走り込み、アメリカ・フロリダでの岡崎慎司(バサラマインツ監督)の発熱、ベースキャンプ地・イトゥーの冷涼な気候と試合会場とのギャップなど、本番に至る過程でも誤算が続いたまま、本番に突入することになってしまった。

今野がブラジルで痛感した「世界との差」

今野泰幸
現在はJ1から数えて「5部」に相当する関東リーグ1部の南葛SCに所属する今野(撮影:ヒダキトモコ)

今野自身も初戦・コートジボワール戦で森重にスタメンを奪われ、2戦目のギリシャ戦からレギュラーに復帰したものの、ラストのコロンビア戦で、当時ボルシア・ドルトムントで活躍していたアドリアン・ラモスにPKを献上。先制点を取られ、最終的には1-4の完敗。夢に見たW杯で1つの勝利も手にできないまま、ブラジルの地を去ることになった。

「ペナルティエリア内でスライディングするって、ものすごく危険なこと。ボールにアタックするなら、通常の僕は『100%行ける』というときしか行かないんです。それにスライディングする場合はシュートコースを狙っていって『俺の体に当ててくれ』という感じでトライする。だから、相手の足を削ることはないんです。あのときも『自分のほうが先にボールに触れる』という確信がありました。でも、相手の足がグイっと伸びてきて、コンマ何秒か遅れて、僕がそこにタックルする形になった。正直、力不足を感じましたし、それが世界との差だと痛感しました」

絶頂で迎えるはずだったW杯がああいう形で終わった悔しさを、今野は一瞬たりとも忘れたことはない。開始早々からボールを一方的に回された記憶しかないという。コロンビア戦の映像は、11年が経過した今も見返すことができていない。

皮肉な結末を余儀なくされた今野、そしてザックジャパン。当時のチームメートで、26年W杯で躍進を狙う森保ジャパンに今も名を連ねる長友佑都(FC東京)は、苦い経験を現在の日本代表メンバーに伝えているはずだ。

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