朝ドラ【あんぱん】やなせたかし、『アンパンマン』のアニメ開始も憂鬱だったワケ

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個人的な体験に裏打ちされているだけに、武井には確信があったのだろう。やがて、その粘りが実を結んで、昭和63(1988)年10月にアンパンマンのアニメ放映が決定した。

しかし、ちょうど昭和天皇が吐血して重体に陥るという状況下だったため、華々しいスタートとはいいがたかったようだ。やなせはこう振り返っている。

「昭和天皇の御病状はますます悪く、マスコミは派手派手しい番組、イベントを自粛し、新番組スタートの恒例になっているパーティも催し物も何もなかった」

しかも、月曜日の午後5時から、という時間帯で関東4局のみという条件も、制作陣に重くのしかかったらしい。やなせに期待させまいとしたのか、企画実現に意欲を燃やした武井プロデューサーからは、こんなことを言われたという。

「これは従来、何をやっても2パーセントしかいかないという時間帯ですから期待しないで下さい」

暗雲が漂うなか、企画会議では「1年は続けたい」という弱気な目標が立てられたという。

農協への配慮からうまれた「おむすびまん」

何とも陰鬱な空気の中でスタートした「アンパンマン」のアニメだったが、いきなり視聴率7%と、この時間帯としては好調な滑り出しをみせた。それからも時には10%を超えるという健闘ぶりをみせて、周囲を驚かせている。

やなせ自身も、まさかアンパンマンをはじめとしたキャラクターたちが、ブラウン管でこれほど活躍するとは思わなかっただろう。

現在、アンパンマンのキャラクターは2300以上ともいわれているが、テレビアニメ化されるまでに主要なキャラは誕生していた。ミュージカルをきっかけに生まれた『ばいきんまん』もその一人だが(前回記事参照)、ほかにも意外な誕生秘話を持つキャラクターがいる。

やなせがマンガを描かなくなり、絵本作家としてアンパンマンの物語を書くのが、仕事の大半になった頃のこと。やなせはパンばかり描いていると、読んだ子どもたちが米から離れてしまうのではないか、という危惧を抱く。そこから新たなキャラを誕生させたと、やなせは次のように語っている。

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