夫・叶井俊太郎が死ぬことよりも"恐れたもの"とは?――くらたまが余命6カ月の夫を「自宅で看取る」と決めるまで

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「ホスピスのこと、調べておいてよ」

宣告された余命を過ぎた辺りから、夫に何度か言われていました。

「うん、わかった」

気持ちは複雑でしたが、いざという時急にバタバタ調べるより、先に調べて準備しておいたほうがいいはずです。この時初めて、「緩和ケア」と「ホスピス」が同じものではないということも知りました。

病棟にはいつ頃から入れるのか。入院環境は。費用はどれくらいかかるのか。

家から遠くない緩和ケア病棟がある病院のホームページを見てもよくわからないこともあり、一度夫と訪問してみようかと思っていました。

さらに知り合いの医療ジャーナリストに夫ががんであることを相談すると、「最近は終末期前でも緩和ケアの相談にのってもらえますよ。どこに入院するかも、早めに決めておいたほうがいいと思います」とアドバイスをもらいました。

夫婦ともに、「終末期、いよいよとなったら入院して最期を迎える」という方向に意識は向かっていました。

弱っていくところは見せたくない

「家で死ぬのは嫌だな。痛い時に、すぐに痛みを取ってもらえないのは困るし」「あと、俺が弱っていくとこ、ココ(娘)に見せたくないよ」当初から、そう言っていた夫。同じ気持ちは私にもありました。

痛み止めの処置は病院のほうが迅速に行えるだろうし、夫が痛かったり苦しかったりするのを見るのは私もつらいです。娘にはそのつらさを味わわせたくないと思うのは、親として自然な感情でした。

夫は私に入院できるところを調べるように頼み、それを受けて私は病院を探し、そこで行われる治療について調べたり、医療に詳しい知人にホスピス、緩和ケアについて聞いたりしていました。

「一度、緩和ケア病棟のある〇〇病院に行ってみたほうがいいのかも」

どれだけ調べても、実際に行ってみて様子を見ないことには具体的なイメージは湧きません。そして行くなら私だけではなく、当事者である夫も行ったほうがいいに決まっています。もちろん、ただ外から様子を眺めるだけではなく、医師から詳細なアドバイスを聞くのがベストです。

緩和ケア病棟を抱える病院は、家からさほど遠くないところにありました。行こうと思えばいつでもすぐに行ける距離です。

でも、なかなか行く気になりませんでした。

「早ければ半年、どんなに長くても1年」と宣告された、その年を超えた頃も夫は毎日会社に行けるほど元気でした。

最期のことを考えなければいけない状態とは思えず、そして何より最期のことなんてなるべく考えたくなくて、夫が改めて言い出さないのをいいことに緩和ケア問題はずるずる後回しにしてしまっていました。

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