夫・叶井俊太郎が死ぬことよりも"恐れたもの"とは?――くらたまが余命6カ月の夫を「自宅で看取る」と決めるまで

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

実はこの時、医師からはバイパス手術のほかにも2つの選択肢があると言われていました。

1つは胆管のように、ステントを入れる手術。でもこれはうまく機能するか不明で、痛みが出る可能性も指摘されました。そしてもう1つは、手術をせず点滴生活をすること。これだと手術はしないですみますが、食べることはできなくなります。

「死ぬまで好きなものを食べたい。バイパス手術します」

夫は即断しました。

そして手術は成功。直後は切った箇所の痛みが少しあったようですが、「胃液がせり上がる感じがなくなった」と夫は喜んで、10日後にはステーキとたい焼きを2個食べました。その後ちょっとまた苦しくなっていたけれど。

どの治療を受けてどの治療を受けないか、夫はすべて自分で決めました。「痛いのは嫌」「食べたいものを食べたい」、夫はブレることなく信条を貫きました。後悔を口にしたことはただの一度もなかったです。

「最期は病院」と考えていた

夫は希望通り、自宅で息を引き取りました。最期までの日々を、慣れ親しんだ自宅で過ごせました。

でも、最初から自宅で最期を迎えることを決めていたわけではありません。病気が発覚してからの最初の1年は、「いつかホスピスや緩和ケア病棟に入るんだろう」と、夫も私も思っていました。

現在の日本では、亡くなる人の大半が病院で最期を迎えます。「自宅で死にたい」と思っている人は全体の半数近くなのに、それが叶うのは一部です。

一時期よりは増えたとはいえ、在宅死の割合は今も2割に満たないままです。スウェーデンやオランダでは病院での死亡率は半数以下、アメリカでも在宅死が病院死を上回っています。

日本は他国と比べても病院で息を引き取る人が圧倒的に多いのが現状です。だから当然、「自分が死ぬ時は病院で死ぬんだろう」というイメージを持ちがちです。夫もそうだったし、私もそうでした。むしろ夫は、最初のうちは「自宅で死にたくない、病院のほうがいい」と言っていたくらいです。

入院するつもりの夫 イラスト
(イラスト/倉田真由美)
次ページ急にバタバタ調べるより、先に調べて準備
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事