「自分の思い通りに過ごせる家がほしかった」…。50代で叶えた「自分ファースト」の住まい〜家族を支え続けた日々からたどり着いた私の選択

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私は夜の9時10時まで働いていたので、帰ってきてから掃除をする気力は残っていませんでした。年を追うごとに汚れが目立っていきましたが、自分ではどうすることもできず、外壁なども一度も直さないまま27年が過ぎていきました。

仕事柄、おしゃれな空間に出向くことも多く、インテリアショップや雑貨店に行くと、「私もこんなところで暮らしたい!」「こういうものに囲まれて過ごしたい!」と憧れは募るばかり。でも、自分の思い通りに過ごせる家なんて叶わないだろうとあきらめていたのです。誰かの、何かの犠牲になっているという思い

母屋の建て直しから15年後、なんとベランダ真下のリビングから雨漏りが発生。お風呂にはカビも!それに加え、食洗機が使えなくなったり、ビルトインのオーブンレンジの扉が油で固まって閉まらなくなったりしたため、レンジを買い足して棚に置くということにもなっていました。

おまけにずっと空き地だった隣に家が建ったため、母屋は陰になってしまったのです。南向きのリビングの窓から光が入らなくなってしまい、朝から電気をつけなくてはならないくらい薄暗いのです。

本当はリフォームしたい。というか、家の向きを変えて建て直したいくらい!けれど……。

大変なことは重なるのか、当時、サロンではスタッフの出産が重なり、ふたり一気に産休に。そのため、売り上げが激減しました。その上、母の拙劣な経営のため、黒字倒産になりかかっていたのです。

産休中のスタッフを除いての人数でこなせるお客様の数では、売り上げが足りません。それ以上の負債が重なり、利益がないという瀕死の状態でした。

そんな状態のサロン経営を母から代わって、私がやることになりました。はじめの半年は無給が続く中、売り上げの3分の1を借金返済に。こういう状態になると自分の考えや視野が狭くなり、「自分が一番働いているのに、どうして?」とみんなの犠牲になっているような気持ちになりました。

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