伊東市・田久保市長に聞かせたい「東洋大学」創設者の"金言"、建学の理念と市長の振る舞いに隔たりはないか
大学は今や完全に構造不況産業となり、戦国状態を迎えた今は、下剋上のチャンスでもある。伝統校もあぐらをかいていられない。
伝統校の創立者が残した「らしさ」には、歴史の重みを感じる。これは、大きな強みであり、今後も生かしていかなくてはならない。そこで、企業で見られる現象を他山の石としてほしい。
企業のトップは、口では「創業精神が重要だ」と言うが、それを時代の変化に対応できるよう経営戦略に落とし込み、実際の経営に反映しているだろうか。今はやりの「パーパス」をつくり、言葉遊びに自己満足しているようだ。
伝統を誇る大学もこうなってはいけない。それでは、「らしさ」を有効的に活用しているとはいえない。
「人生は楽観して奮闘すべき舞台である」
このたび意図せず注目されてしまった東洋大学も、公式ホームページで創立者・井上円了の言葉や大学の沿革を紹介しているが、企業がいうところの「あらゆるステークホルダー」にどこまで届いているのだろうか。
井上は「書物に書いてあることだけが学問ではない」(『新記憶術』1917年)とした。これは、「身の回りのすべての人や物が教師となり教科書となる」と考え、実際の書物からだけでなく、人や社会そのものから学ぶ姿勢の重要性を説いた「活書活学」の思想だ。
また、「人生は楽観して奮闘すべき舞台である」(『奮闘哲学』1917年)という言葉も残している。これは、現実社会での行動を何よりも重視し、人生を楽観的に捉え、恐れることなく行動せよというシンプルなメッセージだ。
ここで気になるのが、田久保市長の言動である。現在とっている行動は、はたして井上の言葉を正確に解釈した振る舞いなのだろうか。
田久保氏は「頑張ってほしい、負けないでほしい、といった声に背中を押された」と語った。しかし、井上が説いた「身の回りのすべての人」の声とは言いがたい。「恐れなく行動」しているようだが、市民の多くは楽観的になれないだろう。
田久保氏が東洋大学を除籍となった事実を踏まえれば、建学の理念と市長の振る舞いには、隔たりがあるように見える。それでは、東洋大学「らしく」ない。
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