《進取》の早稲田・《独立自尊》の慶應・《良心》の同志社、伝統私学が「らしさ」を持つに至った歴史的背景

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早稲田、慶応、同志社
早稲田(左)、慶應(中央)、同志社――。日本を代表する3つの伝統私学は、いかにしてそれぞれの「らしさ」を形成していったのか(写真:PIXTA)
静岡県伊東市の田久保眞紀市長をめぐる「学歴詐称問題」は、収まるどころか、今もなお混乱が続いている。その余波は田久保氏個人にとどまらなかった。皮肉にも、火の粉が東洋大学にまで飛んできた。SNSで炎上したのは、東洋大学を的にした偏差値論争だった。
近年、偏差値ばかりが近視眼的に注目され、教育・研究内容はもちろん、建学の精神を核とする大学独自の「らしさ」はほとんど顧みられることがない。すべてとは言えないが、受験生や保護者、高校の進路指導教員だけでなく、大学の在学生や卒業生、教職員までもが無関心なようである。創立100年以上の伝統校であっても、創立者が定めた建学の精神や大学の歴史を知らない人は少なくない。
そこで改めて注目したいのが、各大学の「らしさ」だ。「大学全入時代」が現実のものとなり、有名大学に受験生がますます集中する一方で、多くの大学が学生確保に苦しみ、淘汰されていくという二極化が進む中で、「らしさ」は大学の存続をかけた経営戦略の根幹であり、受験生にとっては大学選び、学生の人間形成、卒業後の人生のあり方にも深く関わる重要な要素になるだろう。
例えば、早稲田、慶應、同志社といった伝統私学は、創立者の建学精神に裏付けられた「らしさ」が浮き彫りになっている。一方、東洋大学は都心回帰で志願者数を伸ばすも、「らしさ」はもう一つ鮮明でない。本稿では、こうした事例を通して、大学が有する「見えざる資産」である「らしさ」とその効用について、前中後編の3回に分けて考える。
前編:ホリエモン《東洋大Fラン騒動》に垣間見えた「学歴厨」が量産される日本社会の根深すぎる問題
後編:伊東市・田久保市長に聞かせたい「東洋大学」創設者の"金言"、建学の理念と市長の振る舞いに隔たりはないか

(外部配信先ではハイパーリンクや画像がうまく表示されない場合があります。その際は東洋経済オンラインでご覧ください)

大学における「らしさ」とは何か

前編で説明したような動きは、偏差値偏重の枠組みを温存しそうだ。それは、予備校関係者が作ったとされる「グループ名」である。MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学)や関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)、そして東洋大学を含む日東駒専(日本大学、東洋大学、駒澤大学、専修大学)といった類いだ。

これらの語呂合わせの略称は、高校教師や予備校、学習塾の進路指導でも広く用いられている。ある学長経験者が「さまざまな努力を試みたが、偏差値による序列は簡単に変わるものではない」と語るように、これらの偏差値グループを大学側も意識せざるをえない。

だが、それが望ましいとは思っていない。本来なら、その大学「らしさ」に魅力を感じてほしいと考えている。

「らしさ」について、神戸大学の石井淳蔵名誉教授は、著書『進化するブランド』(碩学舎、2022年)で次のように述べている。

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