それにしても、いったいなぜ本書は、韓国で膨大な読者の心をつかんだのか。その理由を、本書の「読みどころ」を探るかたちで考えてみたい。
「対立軸」という武器
すでに刊行されているシリーズ「1巻」と「2巻」には、共通したアプローチがある。それは、根本的な「対立軸」を設定し、それを軸に知識を再構築していくという点にある。
まず「1巻」では、人文・社会科学の領域を「歴史」「経済」「政治」「社会」「倫理」という5分野に分け、それぞれを探求していく構成を取っている。簡単にスケッチしておこう。
「歴史」ではマルクスに倣って、支配階級と被支配階級との対立軸から、原始共産社会→古代奴隷制社会→中世封建制社会→近代資本主義→現代の新自由主義という流れを描いている。
「経済」は、「市場の自由」と「政府の介入」という対立軸が中心に据えられる。アダム・スミスに代表される初期資本主義(市場の自律性を信頼する)から、大恐慌を経て登場したケインズの修正資本主義(政府による積極的な介入を主張)、そしてそれへのアンチテーゼとしての新自由主義(再び市場原理を重視)という大きな見取り図を示している。
「政治」では、「保守」と「リベラル」が対立軸だ。これは、前章の経済的な観点と密接に結びついている。すなわち、「保守」とは市場の自由を重んじ、小さな政府を志向する立場(新自由主義)であり、「リベラル」とは政府の介入を通じて富の再分配や福祉の充実を目指す立場(修正資本主義や社会民主主義)であると。
「社会」では、「個人主義」と「集団主義」いう対立軸のもと、前者は近代的な自然権の思想と、後者は全体主義と結びつけて解説している。
最後の「倫理」パートでは、人間の行動規範として、カントに代表される、結果によらず行為そのものの道徳的義務を重視する「義務論」と、ベンサムやミルに代表される、行為の結果として生じる社会全体の幸福を最大化することを善とする「目的論(功利主義)」という二大潮流を対比させながら、さまざまな倫理的ジレンマを考察する。
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