自分の子どもが高3だと仮定してください。そして子どもが模擬試験を受けて、東京大学理科三類に余裕で合格できるA判定を連発しているとします。しかし、その子が、突如「大学には行かない。自分は○○をやりたい。だから大学に行かず○○の修行を積んでいく」と本気で決心して言ってきたとします。これに対して、何と返答しますか?
「いいと思うよ。応援するよ!」と言うか、「もう少し考えてみようか。とりあえず大学に行ってからでいいんじゃないか」と言うか。
「自分のやりたいことをやることが大切」と口では言いながら、このような状況になったら、果たして子どもを応援するスタンスになれるのかどうか疑問という方も少なくないと思います。もったいないという観念のもと、子どもを学力だけで大学の進路を決めてしまったり、職業を決めてしまったりすることは果たしてよいのかどうか考える必要があります。
もちろん、本気で医者になりたくて、東京大学理科三類に進学することは良いと思います。しかし、理系で偏差値が高いからという理由で医学部へ、文系で偏差値が高いから法学部へというのは、子どもの適性や能力を無視した安易な決定になるかもしれないということです。
教育の真の目的とは?
真の教育とは、その子が持つ固有の個性や才能を見つけ出し、それらを丁寧に育み上げることだと筆者は考えています。そして、社会の中で自分らしく生きていける力を身につけさせることこそが、教育の本来の役割だと思っています。言い換えれば、「その子らしさが存分に発揮できるようにすること」これを教育の根幹に据えるべきでしょう。
一人ひとりの子どもは、異なる背景や環境の中で育ち、異なるDNAを持ち、それぞれが独自の個性を持っています。ある子は数学的思考に長けているかもしれませんし、別の子は芸術的な感性に優れているかもしれません。
また、リーダーシップを発揮する子もいれば、人を支える力に長けた子もいるでしょう。こうした多様性こそが社会の豊かさの源泉であり、教育はその多様性を大切に育んでいくものでなければなりません。
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