「埼玉=ダサいたま」のイメージが1980年代に”全国普及”したのはなぜ?当時の大宮・浦和・川越の街並みをアナログ写真と共に振り返る

✎ 1〜 ✎ 10 ✎ 11 ✎ 12 ✎ 13
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

大宮と隣りあう浦和の街は、埼玉県の県庁所在地。その浦和の中心街の1988年の写真を見ると、通り沿いには銀行、信託銀行、証券会社、生保、損保の支店がずらりと並んでいる。中山道の宿場町である浦和では、江戸時代以来、駅前よりも、この旧中山道沿いが街の中心として栄えてきた。

浦和駅西口
浦和駅西口(写真:1989年02月14日、高橋孫一郎撮影)
埼玉県浦和市中心街
埼玉県浦和市中心街(写真:1987年09月28日、高橋孫一郎撮影)
埼玉県浦和市中心街
埼玉県浦和市中心街(写真:1987年09月28日、高橋孫一郎撮影)
埼玉県浦和市中心街

埼玉県浦和市中心街(写真:1987年09月28日、高橋孫一郎撮影)

次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事