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〈栄枯盛衰の物語〉ネオン輝く「丸源ビル」は夜の銀座の象徴だった/「銀座のビル王」死去後にたどった流浪の帰結

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銀座の丸源ビル
1992年撮影の銀座8丁目。丸で囲まれた「源」と「MARUGEN」の文字のネオンが並ぶ(撮影:梅谷秀司)

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コロナ禍を経た今、大きく姿を変え始めている夜の街「銀座」の今を伝える特集銀座 大異変。最終回はかつて夜の銀座の象徴とも言われた「丸源ビル」のその後を見ていく。

丸で囲まれた「源」と「MARUGEN」の文字のネオンは、夜の銀座の象徴だった――。

「銀座のビル王」と称された男がかつていた。丸源ビルのオーナー、川本源司郎。2021年に脱税の罪で実刑が確定し、米寿にして収監されるという出来事は、戦後からバブル期にかけての不動産神話が完全に歴史の1ページとなったことを告げた。

その物語には続きがある。24年に川本は91歳の生涯を閉じ、彼が築いた「帝国」が主を失ったまま、銀座の街を漂流することになった。

川本氏のヒストリーは、福岡県北九州市小倉で実家の呉服店・丸源を継承したことから始まる。彼の真骨頂は、商売の才覚よりも不動産に対する異常なまでの執着と先見の明にあった。

テナント軽視なうえに冷徹だった

60年代に貸しビル業へ転換すると、72年には東京・銀座へ進出。バブル期の狂乱を追い風に不動産を買いあさった。その触手は銀座、赤坂、新宿、地元の北九州、福岡、さらにはハワイやカリフォルニアにまで及んだ。所有ビル数は最盛期には約60棟に上った。

当時の総資産は1300億円以上。銀行融資を極端に嫌う「完全無借金経営」を貫き、数千のテナントを抱えながら、組織を作らずたった1人で巨大な資産を差配する。結果、銀座のビル王としてメディアをにぎわせたが、その内実は極端な吝嗇(りんしょく)と他者への不信感に塗り固められたものだったと言う関係者も多い。

丸で囲まれた「源」が特徴的だった(2024年に編集部撮影)
次ページ「負の遺産」へと変貌していく
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